この連載、遡りながら読みたい。
ここでは、『学び合い』について書かれているけれど、
感情が触発されることと、記憶の関係。
よく思い出すのは、「飛ぶ教室」を読んで、一人の登場人物に成り切って、質問の受け答えをするという学習活動。
即興演劇って、半分遊びで真剣で、不思議。
 
演劇って、感情を強烈に揺さぶるものがある。だから、教育として、重ねることを検討する価値がすごくあるのだと思う。

自分は、「今」この瞬間がどうかということをどちらかというと重視しているけれど、人生設計みたいなのがほぼないです(その設計が仮にあっても、この瞬間の自分を優先するというか)。そこがまずいところだったのかなあ。
 
それでも、何かを成し遂げるというよりは、今日1日、明日1日を誠実に生きれればいいと思っています(その中に小さく成し遂げることはあると思う。それを積み重ねていければ・・・。漠然と夢があるというか、進みたい方向はあるから)。

レッジョ・エミリアのカルラ・リナルディは、子どもにとってどのような意味があるのかというを大切にしているようでした。なすことによって学ぶという経験の質を重要視するデューイ教育学を継承しつつ、独自の発展を遂げています。その教育は、複雑な要素が関係しあって、生じるものだけど、主な要因は特定できそう。あのイタリアの歴史、文化であったり、アトリエリスタの制度であったり、複数担任制であったり、構成主義的な知識観であったり、子どもたちのは有能であるという子ども観であったり・・・。

パタン・ランゲージとも、経験から出発せよという牧口の教育哲学とも共鳴することを考えて、すごい人たちは、奥底で通じ合うのだと思いました。