ノンアル229日。

 

一つ不思議に思っていたことに対して、さっき自分なりの答えを、寝起きに思いつきました。

尊敬している人が、フローの理論を作った人をぺてん師のように言って批判していたことがあって、なぜなんだろうとずっと思っていました。

多分、その考えのポイントは、その方がフーコーを読まれていたことからきていたのだと思う。

人がただ夢中になっている状態のようなものをフローと名付け、体系化したものだと思うけれど、心理学が理論を作り出す時、フローにしても、一つの鋳型のようなものを生み出す。その鋳型が、まず人を縛り付けるようになるからではないだろうか。

あとフローにしても、そこに社会の概念がないまま単純化され、人々に需要されていき、大量消費されていき、それがまた人に他者性のない、薄い生き方を方向付けていったかもしれないこと。知識は、人のメンタリティを形成する。

セリグマンの理論が、拷問に利用された歴史も思い出した。

生産される知識がどのように利用され、どのような影響があるのか、考えることは大切かもしれない。