哲学と科学について自問自答じたけれど、状況に応じて、概念を創造するところは同じで、方法がこまかくは違うということがわかりました。あとその概念が明らかにするところが違うか。
それに科学が明らかにするものと哲学が明らかにしてきたことが重なることができる。認知科学の問題で明らかにされたような結論の中には、哲学で問題とされ、哲学で考えれてきたことと重なることがある。でも科学だけの問いと方法と答えもある。
哲学と科学はベン図みたいに重なるところもあれば、違うところもある。
https://www.amazon.co.jp/「資質・能力」と学びのメカニズム-奈須-正裕/dp/4491033633/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=資質+能力&qid=1596057429&sr=8-1
これ再読したのですが、よく整理されていていい本ですね。
知っていることからできることへというは、スピノザへの回帰のようにも思えました。資質・能力の見方はちょっと狭い感じですね。科学者の概念だからかなー。でも、それにはそのよさがある。具体が根拠になっていることは資質・能力のスピノザの概念も同じだけど、射程距離が違うというか、概念の意味合いがそれぞれ違ってくる。スピノザだけもダメかな。スピノザ方がもっと抽象的で原理的な感じ。その中身を、例えば力能って、例えば知性に関しては、どのような力があるのかとか、そのコンピテンシー、資質能力やブルームなど、これまでの科学者の研究が細かくよく整理しているところがある。だから、両方から学んでいくのがベストかと思います。
さっきの哲学と科学の比較の話に通じているけれど、既知から未知へという教育学の話は、ヘルバルトの哲学からきています、多分。ヘルバルトは、カント主義者みたいなので、そこから始まっているのかもですが。それでこれと同じ話題は認知科学でも何度も出てきますし、認知科学が教育心理学の分野で明らかにした最も重要な知識を一つあげるとするならこのことだという科学者がいました。そこでどんなが起きているかは、もう哲学者が観察、比較して考察してきたことです。その効果を数量的に実験的に考えてみるというは、科学が洗練された方法が行ってきました。
哲学者や数学者が発明してきた概念や方法が科学の父と言えるかもしれない。宗教は科学の母だと何かに書いてあったから(忘れてしまったけれど、科学と宗教の関係について歴史的に論じていた本)、哲学は父にしておいた。