「すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない」
カントは、哲学界のエベレストか。宗教批判もそうだけど、倫理学についても、教育学についてもカントに戻っていくことになる。
40歳になって、また信仰の問題についても考えているけれど、もともと理性に反することは、信じられない。この世界には、経験や理性の限界を超えていることがある。そこが信仰の領域です。しかし、道徳法則に反することは理性に反するので、信じることはできません。
カントの道徳法則に反する宗教も、政治家(の政策)も全てインチキだと思います。
政治的にも、みんなが幸せになる軌道は間違いなくカントの道徳法則の先にあると思います。
全ての戦争の実像は道徳法則に反する殺し合いです。私たちには、世界の全ての人の幸福、自由、成長のために、戦争ができない、戦争を起きないためにできる選択肢、道が必ずあります。
「頻繁に、そして長く熟考すればするほどに、ますます新たな驚きと畏敬の念をもって心を満たす二つのものがある。それは、我が頭上の星を散りばめた天空と、我が内なる道徳法則である」(カント「実践理性批判」より)
この本も、唯一無二だと思います。代わりになる本はなさそうです。

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理論も理想も虚しくない。理論も理想もない現実的な世界は最低の世界。

 

カント用語に先天的、経験のよらないという意味のアプリオリと経験的という意味のアポステリオリという概念があります。
「頻繁に、そして長く熟考すればするほどに、ますます新たな驚きと畏敬の念をもって心を満たす二つのものがある。それは、我が頭上の星を散りばめた天空と、我が内なる道徳法則である」(カント「実践理性批判」より)
この言葉と繋がって理解が進んだ。この星空、宇宙はアプリオリに存在するものです。それと内なる道徳法則を並べている。カントは経験によらないアプリオリな道徳法則を基礎づけました(もちろん経験から一般化した道徳も世間にはあります)。経験を一般化したものは必ず不完全だからです。この宇宙とその道徳法則はアプリオリで似ています。