教育設計だけではないですけど、教師が経験のプロセスの中でどう関わっていくのかというのも経験を形作っていくものですので、その結果を大きく左右するものって、あると思います。
 
自分なりに言語化、説明、精緻化していきたいのが
可視化と語り。
 
語りに関しては、教員を見ると子どもたちに染み入るように話せる人たちがいて、その人の語りによって、子どもたちは大きく変わるということを何度も観察してきています。これはパタンとは言えないのかもしれないですが、教育経験を形作る大切な要素であることは間違いと思います。
 
僕はちょっと語りが苦手で、子どもたちに染み入るような語りは、自分には無理だと諦めるところがあったのですが、古田 直之さんの勉強会に出て、自分なりに語りについて考えて磨いていこうという勇気をもてました。
 
あるときの語りが通用しなくなることもあって、難しい奥深い問題です。僕の経験でも語りに心を揺り動かされたり、全く動かされなかったり、色々ありましたね。
 
本当に教育左右するパタンや要素があって、なんか新しいことを言おうとするのではなくて、それらについて説明、精緻化、メタ認知化したいんですよね。要するにより自覚的に仕事をしたいわけです。それが教師だけではないですが、そのその職業の成長であると考えます。
 
語りの経験で思い出すのは教員を見てもそうですけど、自分の最大の経験は、大学の創立者の語りだった。全員ではないかもしれないけど、あの語りでたくさんの人が変わったことを思い出す。