名作 小公女

小公女 (講談社青い鳥文庫 (94‐1))

小公女 (講談社青い鳥文庫 (94‐1))

★×15
はじめてのバーネットでした。素晴らしかったです。
セーラは、気高くて優しい子です。卑劣な権力者には負けません。
自分が苦しくても、
人によく関わっていこうとするセーラの心が強くて美しいです。
人間を高めてくれる物語がたくさんあるお話しだと思いました。
新装版出てます。旧版もたぶんそうですが、総ルビです。素晴らしいです。敷居が低い総ルビの良書が増えて欲しいですね。無理な願望かもしれませんが、ひらがなができるができるようになったら、挑戦してほしいです。青い鳥文庫の「赤毛のアン」を小学校2年生で読む子の話をネットで読んだことがあります。たぶんクラスで最も読める子でしょうけど。たぶん家庭教育が凄いんですよ、きっと。一人読みがはやくできるようになる家庭の条件を満たしているんでしょうね。またそのご両親を育ててくれた何かがまたあるんですね。やはり教育の力は思っているよりも大きいのだと思います。


一年生は難しいか。一年生が「小公女」を読んでいるところを想像しにくいです。2年生の読める子ならなんとか読めそうな感じです。前年度、給食の時間、一年生の子に「一人で本読めるの」と聞くと「うん」と頷かれたので、「何かおすすめのおもしろい本を教えて」というと「ゾロリ」と言われました。ほんとかわいいんです。なつかしいです。



(注)以下はスイッチが入りかなり愚痴を含みます。
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児童文学初心者ですが、いい作品いろいろありますね。僕の小学校の読書経験で思い出すのは「晴れときどきぶた」シリーズです。中学校の読書経験で思い出すのは、漫画以外だと、「金田一少年の事件簿」シリーズです。それも2冊くらいしか読んでないです。中学3年間で。貧しい経験です。




一瞬でよくなるような魔法はありませんが、子どもに賢者に導く経験をさせたいです。愚かは不幸ですね。今もまだまだある自分の愚かに悲しくなりますが、十代はさらに愚かで、愚者即不幸の地獄を経験しました。「賢者は喜び」です。不誠実で卑劣な人間の馬鹿な教育はさようなら。学校の先生ってたくさんいるけれど、自分が経験できる人は少ないです。運が悪いと悲惨です。ネガティブなセルフトーク。これがよくないんですね、自分にも、他の方にも。こういうことを愚かというのだと思います。自分はいいほうです。まだ家に少しは本があって、その良書に救われました。


キーボードと脳の中にある過去の記憶が繋がって、さらに「教育」というキーワードから、スイッチが入りネガティブなセルフトークが、たまに、はじまってしまうようです。しかもストレングスファインダーの僕の強みの一つは内省です。それも原因かと思います。はじまったら、またかと思って、やめよう。でも吐き出したい衝動はあるんだろうな。ブログで噂みたいな話を本当のことみたいに断定の表現で広げたり、デマを書いたりは絶対によくないと思う。素人が書いたって、デマは害悪だと思う。ノンフィクション作家とかジャーナリストのプロが不勉強だったり、デマを書いてるのって最悪最低だと思う。まだわからないことを事実の如く書いているのを見ると、怒りを覚える。愚痴の日記は読むのも読まないも自由だしいいかとも思う。結局、ネガティブセルフトークは生産的じゃない、価値的なじゃない。それならば、やめるべきか。でもすっきりする部分もある。でもテンションが下がる部分もある。結論は、ネガティブセルフトークをやってしまったら、はやめにやめることですね。


学校教育にいい思い出はあまりないんですよね。大学に独学で合格できたのは、中学の頃に通っていた予備校で訓練してもらった基礎学力と、高校の頃に主体的に取り組んでいた読書経験、また家族の支えのおかげだと思います。ブラインドタッチやイラストレーターなどパソコン、あと楽器を演奏するなど自己活動が中心の授業以外の高校教育はほとんど意味がなかったです。進学の役に立たないし、生きる力にもならない。価値創造の力にならない。あの大事な時期にほとんど意味のない質の悪い経験をさせること自体が有害です。こんな授業を受けるなら本を読んでいたほうが、めちゃくちゃ価値的で、教えてもらうより、自分で勉強したほうがマシだって、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も思った。今は、リーディングワークショップなどのいい教育が日本にも存在することを心の底から嬉しく思います。
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