手段を目的によって正当化できないということか、もし理想があったとしても。
思い出しながらメモ。
共同体なき共同性。
「他者に対する法義務は”害するな”である。」国家はこのエゴイズムから生まれる共同体。必然の悪(だからといって価値がないというわけではないと思う。実際の話。実際の一側面。)。国家の法は倫理的には消極的なものでしかない。
一方「他者に対する徳義務は”善をなせ”である。」
二元論、二つの世界論。その必然的に現れる共同体(国家悪)が存在しても、共同体なき共同性を追求できる。教育にも重なるかも。今の教育の個別化の議論ともつながるかも。PAビーイングの位置づけもそのツールを使う人の考え方で意味が変わってくるかも。
理想郷、クラスの理想が全体主義のようになる危険性。
「他者に対する徳義務は”善をなせ”である。」
ここなんかフルバリューコントラクトを思い出します。