インザミドルp181まで。

p181
「私は統合的なカリキュラムのファンではない。」


「統合的内容は書くことと読むことの教えることを傷つける。ベーシックなスキルの練習や授業の時間を奪う。」


アトウェルってこういうスタンスの人なんだと思いました。いろいろな人がいますね。
地域学や総合的な学習となると社会科と理科科が統合された内容になるのだろうけれど、統合する以前にもともと関係し合って一つだったものを分けて小さなまとまりで考えたものが教科ということだと思います。

なぜもともと統合されて一つだったことを分けて考えるのか。社会科と理科に分けられないという考えもあるけれど、もし分けることができければ教科は存在しないです。歴史を探究すれば理科的な内容に出会う。それでもあえて分けて考えるわけです。


教科に分けることの良い点と悪い点はにはどんなことがあるのか。
統合的に学習ことの良い点と悪い点にはどんなことがあるのか。


トレードオフの関係にあるので、統合的な学習やカリキュラムを重視するのか、教科的な学習やカリキュラムを重視するのかどちらが正しいと一概に言えないと思います。どのような人が育てたいのか目的によってカリキュラムが変わってきます。

自分はどうなんだろうって考えた時は、少なくともあれかこれかというスタンスではないと思いました。どちらのファンでもないし、どちらが好きとか嫌いでもないかな、たぶん。統合的に学習するのも一つの方法で、教科として分けて学習するのも一つの方法です。使い分けは学習の状況と目標によって変わってくるから。


自分のスタンスのイメージだと国語と算数は分けて学習して(これを社会科や理科や統合的学習で活用する)、あとは統合的でいいのかなと思ってしまうところがあります。何がいいのだろうか。でもよく考えるとこのスタンスを徹底すると、問題があるかな。『理解をもたらすカリキュラム設計』にあるようなコンセプトベーズの考え方が重要になると思う。まだ混乱してるところがある。


インザミドルp181まで。

p181
「私は統合的なカリキュラムのファンではない。」

「統合的内容は書くことと読むことの教えることを傷つける。ベーシックなスキルの練習や授業の時間を奪う。」

アトウェルってこういうスタンスの人なんだと思いました。いろいろな人がいます。
地域学や総合的な学習となると社会科と理科が統合された内容になるのだろうけれど、統合する以前にもともと関係し合って一つだったものを分けて小さなまとまりで考えたものが教科ということだと思います。

なぜもともと統合されて一つだったことを分けて考えるのか。社会科と理科に分けられないという考えもあるけれど、もし分けることができければ教科は存在しないです。歴史を探究すれば理科的な内容に出会う。それでもあえて分けて考えるわけです。

教科に分けることの良い点と悪い点はにはどんなことがあるのか。
統合的に学習することの良い点と悪い点にはどんなことがあるのか。

トレードオフの関係にあるので、統合的な学習やカリキュラムを重視するのか、教科的な学習やカリキュラムを重視するのかどちらが正しいと一概に言えないと思います。どのような人が育てたいのか目的によってカリキュラムが変わってきます。

自分はどうなんだろうって考えた時は、少なくともあれかこれかというスタンスではないと思いました。どちらのファンでもないし、どちらが好きとか嫌いでもないかな、たぶん。統合的に学習するのも一つの方法で、教科として分けて学習するのも一つの方法です。使い分けは学習の状況と目標によって変わってくるから。

自分のスタンスのイメージだと国語と算数は分けて学習して(これを社会科や理科や統合的学習で活用する)、あとは統合的でいいのかなと思ってしまうところがあります。何がいいのだろうか。でもよく考えるとこのスタンスを徹底すると、問題があるかな。『理解をもたらすカリキュラム設計』にあるようなコンセプトベーズの考え方が重要になると思う。まだ混乱してるところがある。

やはり目標によって変わるから、どちらかではないか。どういったバランスがいいのかな。

地域を探究しようとすれば社会科と理科のどちらかと考えるのはナンセンスだと思います。いやそんなこともないかも。これも目的次第かな。


統合的な地域学もあれば、教科的な地域学もあり得ると思う。


横断的な学問の分野もあれば、地域の法律や経済に特化した学問もある。


それこそ学び方も含めた具体的な学習内容(目標)から考えないと空理空論になってしまう。