結局カントに帰る。
純粋理性批判』の序文にある通り、認識の出発は経験。
認識は感性+悟性。やはり知育の中にしか徳育はないです。このカントの議論をふまえて、三育論が誤っているということを覆せる人はいますか。残念ながら、日本はスペンサーが言っていたことも(つまり歴史学的にも)、もっと広げて論理的にも誤ったことを真実として広げてきました。そう僕は認識しています。



この三育論と二育論の問題。
正直、これは科学的な思考を教える、身につけさせる立場から考えるとお笑いでしかない。そんなことないか。まとめると悲劇。