棄民の歴史(満州棄民と原発棄民)

朝から気になっていて、忘れないうちにメモ。
Tさん

棄民の歴史(満州棄民と原発棄民)。
かつて、農家の次男、三男が、人減らしとして、満州に送られました。
満蒙開拓団、萬州開拓団です。
そして、敗戦。
帰ってきた人たちには、土地も、家も何もなかった。
農業に不向きの土地しかありませんでした。
ちなみに、移民から引き上げてきて、今、原発事故で、帰還困難区域、避難指示区域になっているところでいうと、
引き上げ者の比率は、
津島村(今は、浪江町の一部で、例の高濃度放射性物質が降り注いだところ)が50・7%、葛尾村が50・1%、飯舘村が34・7%。
(『福島県戦後開拓史』)
彼らは、掘っ立て小屋をつくり、半世紀以上もかけて、
日本有数の、美しく豊かな農地を作った。
そして、そこから、また、追われたのです。


飯舘村 原子力発電所事故前と事故後の比較写真 失ったものは・・・大事なものでした。
ちょっと前にリンクしたこのサイトの写真がまた違って心に響いてくる…。