アクションリサーチ ある論文を読んで

当たり前だけど、アクション・リサーチがすべてではないと思う。実証主義的な枠組みから、かなり普遍的に、人間一般に通用する認知のプロセスや教育の理論が生まれることもあると思う。一方、こういうアクション・リサーチのような考え方や方法でしか明らかにならないこともあるのだと思う。



この論文を読んでいてイアンパーカーを思い出しました。言葉狩りとかそういうのではなくて、言葉の細かいところから、筆者の奥深くにあるもの、フレームを推測できると思いました。



自分の実践を物語化して省察するのかあ…。



クルト・レヴィンは協働的な研究を大事にしていたらしい。そこに向かったということかな。


心配しなくても、研究ってもともと協同的で社会的な営みだという。



イアン・パーカーは、実証主義的な研究の完全否定(ただ主観を抜いてただ客観的にということがあり得ないということだけなのかもしれないけれど)。筆者も実証主義からアクション・リサーチへということだから、同じような感じかもしれない。

要するに関係思考だってことか。アクション・リサーチもおもしろいです。


直接話し合うのだけが協働ではないと思う。違うフレームに出会うことは本を読んでいても、こういう論文を読んでいてもある。自分の違うフレームに出会えば、自分の考え方などと自然に比べる、相対化することになる。


言語そのものが社会的なもので、協同的なものなので、直接話し合うこともいいけど、メールの交換とかでも学び合いはできると思う。今だったらSkypeとか。言葉のやりとりがあれば、学び合いはあるか。



イアンパーカーのアクション・リサーチは質的研究の方法を総動員して、社会変革というテーマを探究するものだという話を思い出す。


研究法、ツールを知っているのは大事か。
後は自然に変革のための研究の中で、状況に応じて、方法を使いこなせること。



アクション・リサーチや質的心理学って、
研究者としての自分の構えや物の見方とか、世界観とか、そういうものに自覚的になろうと努力して、それを表明しようとしているのがいいと思う。自分が変わることを通して、また周りも変革していくことをねらっている。