またアクティブよりもパッシブだとかというのを見かけてしまった。
どちらも真摯に考えればいいだけの話なのに…。
上のように断じる人はどれだけアクティブについて真摯に考えたことがあるのだろうか。
時間の無駄だと思う。
スルーできない自分もだめだ。



境界で具体的に真摯に論じているもの以外、意味のある教育論ってないんじゃないかな?


パッシブな教育の中にもアクティブはあり得るし、アクティブな教育の中にもパッシブな要素がある。子どもの視点から考えることは必須で、子どもたちが知識を構成できるように、子どもたちの興味を喚起できるように具体的に何ができるのか考えていくべきです。具体的に考えていけば、アクティブな部分もあればパッシブな部分もあります。アクティブかパッシブか、アクティブよりもパッシブとか、そんなこと軽々しく断定して言えないっす。


子どもたちの脳みそがアクティブになれないパッシブなんていらないですけどね。



アクティブラーニングも難しい。
三つの改善の視点があって、
具体的に授業を考えると実はパッシブな要素も考える必要がある。
パッシブについて否定しているわけではない。
子どもたちが主体的であるためには、パッシブな部分もあるのだ。


アクティブラーニングとはまず単なる名称であり、概念です。
それが何を意味するのか、まず資料から理解・考察する必要がある。


小学生の社会科と変わらないと思うけど…。
資料に戻らないといけないですね。


ゆとり教育」もそうだけど、誤解を生み易いネーミングなのかもしれない。