バディウ、難しい。。。
部分的にしか理解できないのだけど、わからないところが
多くなればなるほど、もうどうしようもない。わからないところが多すぎると推理しようがなくなってくる。これは子どもたちが本を読むときも同じかな、きっと。わからない言葉が多いということは、その本が合っていないということ。マルクスガブリエルの本とは全然違う。とりあえずマルクスガブリエルの次に翻訳される予定の本は読みたい。メイヤスーもバディウみたいな感じなのかな。


バディウマルクスガブリエルの難しさの違いは何なんだろう?
ただ同じ方向の哲学であることはわかる。似ている。





バディウは、誠実な人だと思った。彼の自分との向き合い方は、勇気付けられるものでした。バディウ毛沢東主義者だったのですが、そのことを隠蔽もしなければ悔悛もしない。その彼の生き方と姿勢を創造的忠実さといい表していたけど、今の自分に重なって、とても親近感を覚えました(区別が大切。普遍的に通用する部分と通じないところ。そこの峻別ができないと悲惨なことになる。道理だ)。『哲学宣言』の邦訳には、バディウの教え子に日本人がいるのですが、その人したインタビューがあり、それがバディウ思想のとても良いガイドになっています(ということが自分にはできないか。ただそのインタビューは読んで理解できる)。

だいぶ理解できない、意味不明なところが多いけれど(自分の読解力不足で)、得るものは大きかったと思う。フーコーを欲した時みたいに、今の自分の精神が欲していて、その感じは、正しかったのだと思う。

メイヤスーも読んでみるか。あと集合論を学び直さないとバディウは理解できない。

哲学においては結論と同様に過程も大事だという。何と無く納得。