ヘルバルトについて 牧口常三郎全集6巻

「従来の教授では知識授与の目的を達する手段として、面白く教授したものであるが、それは間違ひである。興味を起こさせる目的の為めに知識を供給するのでなければならぬ、といふのが、ヘルバルト派の新しい主張であつた。即ち目的と手段と顚倒する訳であつて、素人の考からすれば意外の感がある程の改革であるが、熟考すれば、なる程それに違ひないと肯かれる。然るにそのヘルバルト主義の流行した時代は、己に三十余年過ぎて居る今日、ヘルバルトのへの字も教育界でいふものがない程になつたのである。そして其後に幾変遷を重たのに拘らず依然として知識注入主義の教授は改められず、今の尚お流行して居て、今日の病弊を来したのである。」


「如かず、必要の場合に、自力を以て収得する力を養成せんにはと。仍ちヘルバルト主義が教育の目的は知識の授与にあらずして、興味の涵養にありと主張して所以で、目的と手段とを全く顚倒せしめた教育史上の一大革新であつたのである。」


「教育は知識の伝授が目的ではなく、学習法を指導することだ。研究を会得せしむることだ。知識の切売や注文ではない。自分の力で知識することの出来る方法を会得させること、知識の宝庫を開く鍵を与へることだ。労せずして他人の見出したる心的財産を横取りさせることでなく、発見発明の過程を踏ませることだ。」


「教育は環境に対して価値を見出させる事だ。而してこの依つて生ずる物理的、心理的原理を探求せしむることだ。そして自己の生活を之に適応せしむるによつての新価値を発見せしむることだ。即ち観察と理解と応用との方法を会得することを指導することだ。
 斯うして知識の宝庫を開く鍵さへあれば、万巻の書籍を暗誦しなくても、生活上に必要な知識は自ら得られるものだ。」


ヘルバルトの話は教育史のコペルニクス的転回だと思います。決定的に教育が変わるところだと思う。この一点で自分は突き抜けたい。真の知育はここにあると私は思います。この目的だけはっきりしていれば、方法はもうヘルバルトの時代からだいぶ月日が経っていて、かなりそろっていると思います。


ここから徹底的に教育を再構築するとかなり違ったものなると思う。まだかなりぶれてるんだと思う、自分の言動や方法が。