不易と流行の教育

PCDAサイクルや体験学習サイクルのプロセスは全部不易の部分になると僕は思います。
PCDAサイクル、
体験学習サイクルをもっと抽象化すると、
ゲーテの「考えて行うこと、行って考えること」
という言葉になるのだと思う。

考えること、やることのプロセスの質を高めるための教えることや練習は教育の不易の部分だと思います。
やる前に考えることは例えば目的や目標、計画など。
目的や目標、計画に善い悪いがあると思います。
そこの質を学校教育は高めることができると思います。


仕組み化するなどして、
不易のことをどれだけのせてやらせることが、
できるかが大切ではないかと最近思います。


近くの先生を見させていただいて、
のせかたで全然違ってくるなあと思いました。
自分は何も考えてないし、力がないと痛感した。


読書ノート作り、
やってみて考えることか(読書して考える)。読書自体が思考のプロセスか。
読書するというプロセスも考えるプロセスも教えることや練習で高めることができる。プロセスの細かいビジョン。意識して教員経験が増えるとはっきりしてくることだと思う。努力次第で経験が少なくてもはっきりさせることができるような気がする。そのためには…。


「(最も大事なものは何だろうというヴィルヘルムの問いに対し)それを言うのは簡単だ。考えて行うこと、行って考えること、これがあらゆる知恵の結論だ、昔から知られ、昔から実践されてきたが、誰でも理解できたわけじゃない。(中略)人間悟性の守護神は生まれてくるものすべての耳に『行いを思考によって、思考を行いによって吟味せよ』と囁きかけるが、これを原則とする人は迷うことがないし、たとえ迷ったとしてもすぐに正道に戻ることができるものだ。」『ヴィルヘルム・マイスター遍歴時代』第2巻9章、ゲーテ