英語の勉強が全然進んでいない。読めていない。


国語/算数・数学>社会・理科

僕の場合は…。


言語に興味がある。その道具が自由ならば社会・理科でも困らない。
実際自分は大学で経済学をするのに数学の理解が足りなくて凄く困りました。



やはり国語/算数・数学の研究をベースに社会や理科にも繋げるというスタンスで自分は行くこと。


リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップを探究学習に繋げる。


リーパーさんは『数学は世界を変える』は面白い。
ああ小学生に戻れたら運動をほどほど楽しみながら徹底的に学び抜くと思うけれど、時すでに遅し。学ぶことに集中できる時期は大事だと働いていると素直に単純に思う。だからこそ教育の力は大きいと思う。その時期に教育がどんな働きをするのか。教育で全部決まるわけではないけれど、よくも悪くもとてつもなく影響力があることは間違いない。



理論レベルでは学者の人たちが例えばマルティプルインテリジェンスなど輸入して研究が始まることがかなりあるけれど、実践レベルの情報を輸入してそれを日本の実践と融合するようなことがまだ多くないのかなということを思いました。でも九州の反転授業のこともあるし、そんなこともないのかな。


実践レベルの輸入がないというわけではない。スペインの読書へのアニマシオン、協働学習の具体的な技法などいろいろある。でもその海外の実践情報に直接アクセスしてそれを自分の実践を日本の研究に統合していくようなことはあまり行われていないかもしれない(こういうことをしている人が何人か思い浮かぶ。でも多くはないと思う)。たぶんそのことを徹底的にできれば何かしら役に立つもの、価値あるものを実践できるし、その実践を共有できると思う。理論レベルの輸入から、その理論から実践を考えていくのも大事だけど、よい実践レベルのアイデアの輸入と統合も価値があると思う。


理論レベルの翻訳書は多いけれど、
たぶん実践レベルの詳細な本の翻訳書が少ないと思う、多くは無い感じ。



どれだけ読み抜いて、現場の仕事に自然に理に適うようにつなげていけるかだけど、最近また読めなくなってきている。


児童書、『数学は世界を変える』と言った学問の導きになる本、教育の専門書/実践書など読むべき本がかなりある。


他のことも学びたいことがあるけれどなかなか手が出ない。
原発のこと、政治経済のこと、医療のこと、歴史などいろいろ。


どちらかを捨てるとか言うことではないと思うのでがんばろう。それにしても亀のようなスピードでした前に進んでいかないけれど、もうあせってもしょうがない。それぞれの学ぶことを楽しむこと。


仕事の前に市民であることを忘れてはいけないと思う。



またある企業の「子どもに夢をたくすな(自分自身に生きろ)」というコマーシャルを思い出した。子どもに夢をたくす以外に希望を見出せないし(自分自身に生きるには違いないし生きている限り協働にはなるけれど)、自己実現なんて下らないとも思う。自己実現ってそんなに大事かなあと、恩師の言葉やレ・ミゼラブルなど思い出して考えます。後代に夢をたくさないで、自分自分に生きるだけで自己実現を目指すだけでどうするの?って思う。リーパーさんの数学の歴史、発展を考えても、学問の発展を考えてもそう思う。それに僕は親になったことがないけれど、夢なり願いを押し付けるのではなくて、そういった願いを子どもたちや後代にたくすことは尊いことだと思うけれど…。どうでもいいことかな。何かそのCMに凄くひっかかってしまった。ちょうどウェーバーの言葉や自分の仕事とも重なってしまったからかもしれない。何か現代社会を映し出しているようなCMだとも思った。


「子どもに夢をたくすな」=社会について考えるな、自分自身に生きろというメッセージにも思えてしまった。人間は社会的な生き物。自分自身に生きる中で未来や他者に夢や願いをたくしていくものかもしかもしれない。それは夢や願いを押し付けるものではない。自分でまたは教えてもらって気づかないといけないものだとも思う。