読書について

自分は平凡だけど、
読み抜いている人たちは脳みそが根本的に違うと思う。
知的なパワフルさがまったく違って、ぼくは大学生の時に
もともと頭の素質が違うのだろうけれど、
いくら努力してもこれからこの人たちに知力の面で追いつけることはないと思いました。



それは小学生でも変わらないです。
読書だけではだめだけど、
長いスパンで読み抜いている子たちの学力は根本的にレベルが違います。



思い出すのはよく読めるある子に話を聴いたこと。
小学校の四年生だったその子は、
低学年の時にゾロリシリーズを全巻、暗記するくらいよく読んだそうです(その他にもいろいろ読んだのだと思います)。その時の積み重ねがあって、四年生の読書があるわけです。その子は四年生でダレンシャンシリーズを読んでいたけれど、その同じ四年生でゾロリなどの挿絵がたくさんある優しい読み物を読んでいる子たちもいます。国語の力(その中でも特にリテラシー)はゆっくりゆっくり伸びていきます。何の積み重ねもなくいきなり急に力が伸びるなんてことはないのです。そのレベルの読書を積み重ねることで、次のレベルの本に進めるようになってきます。

もっとさかのぼると小学校の入学するまでに、どれだけ読み聞かせをしてもらってきたかも、その後に大きな影響があります。読み聞かせされきた子とされてこなかった子では語彙にものすごく差がつくと言われていますが、実際にその通りなんだと思います。読み聞かせの経験の違いなどから、小学校の低学年でも大きな語彙力の違いを子どもたちに実感します。


読まなかった子も読むようになって読み続ければ、それなりに力を伸ばしていきます。それはとても大事なことだと思います。根本的には語彙力の問題。だから算数や社会科や理科の基本も大事です。当たり前だけど数学の基本がなければ、物理学や経済学の学習や読書で必ず行き詰まります。



学力といっても
マルチ能力から考えると、
音楽の領域や体育の領域の学力もあるから、一概に言えないけれど、
読み抜いている人たちは語彙力、思考力、リテラシー能力が根本的に違う。学力の土台が違う。



このことは認知科学のモデルとも重なる話。経験からも観察からも正しいと思う。


読書を評価するには、学校図書館で借りた本の数も一つの指標になると思いますが、何を読んでいて、読んでどんなことを話して書いて考えているのか知る必要があると思います。その子どもたちの読書を正当に評価しないと、読書と他との相関関係は分からないと僕は思いました。そこには投稿しなかったけれど、読書と学力テストの相関関係について述べられていた記事を読んで思ったこと。