教育論争

教育論争の多くは虚しい、
学術的に調査や実験を踏んだものには、それなりに価値があると思うけれど。


Aと言う方法がある。Aと言う方法のメリットだけ(デメリットがあるのに)主張し、対抗するBと言う方法のデメリットだけ(メリットもあるのに)批判する。


BよりもAが優れていると、その場で論証、証明することも、判断することも、とても難しい。実験や調査などの手続きが必要なことは、たくさんある(それでも因果関係を特定することは困難だ。関連がありそうくらいしか分からないことが多い)。


目的と状況によって、優れた方法は変わります。
ある目的と状況ではAと言う方法が優れ、違う目的と状況はBと言う方法が優れているかもしれません。
一概に一つの方法だけ正しいとは原理的に言えません。


Tさんが、深さに違いがあるだけかもしれないって。現代思想を踏まえた、至言だなって思います。


教育の世界では、子どもたちをこう伸ばして行きたいと言う思いから考えることができれば(あと経済の観点からも)、より深い考え方や教育方法を考えることはできると思う。


経済の観点はすごく大事。
同じ目標なら、少ない時間と費用で(大人も子ども)達成できるアイデアや方法が優れていると思う。
しかし、この観点が話題になることが少ない。あまり自覚的ではないように感じます。教育研究の柱だと思うけれど。



教育論争は大体、その場の権力(パワー)関係で決まる、人数だったり立場だったり。




公教育の目的と目標は憲法や法律によって明記されている。
その目標の中には相対立するものもある。
だから対立する方法のどちらか一方が正しいと言うよりは、どちらも必要だと言う結論が導きだせることがかなりある。どちらに比重をかけるかと言うことは、大体、その場の権力関係で決まる。時には一方の方法がほとんど軽視されなくなることもある(方法の中には目標があるから、同時にその目標も軽視されることになる)。