自分は、結果をあまり出せていないけれど、自分は頑張っていると思う。
皮肉なことに、結果を出そうとしているのにね。
自分は、結果をあまり出せていないけれど、自分は頑張っていると思う。
皮肉なことに、結果を出そうとしているのにね。
ノンアル257日。
ノンアル256日。
多くの日が早く帰れるわけではないけれど、毎度のことながら風邪と帰れない日が重なると辛い。
風邪をひくと体がそれに抵抗するために、余計にエネルギーを使うようで疲れがひどくなります。
授業の設計も終わってから、こうしたほうがよかったかなと思うんだよなあ。次があったら頑張ろう。
ノンアル254日。
300日を目指す。
レッジョ・エミリアのスタッフ、子どもたちの学習環境を考える時の光の具合みたいなことまでこだわって、教育をデザインしています。あと、確かアート専門で支援するスタッフがいることもあの素敵な感じを直接に生み出している要因だと思うけれど、あの細やかに考えて準備して行く先にレッジョ・エミリアの教育があるのだと思う。
カルラリナルディの本を読んで、思い出すのは(子どもたちへの信頼や子ども観などから)、カイさんやゴリさんだけど、あすこまさんが風越の漢字学習をどうするのかと悩んでおられるけれど、そうやって、子どもたちにとっての意味がある教育を考えて行く先にしか豊かな教育はないのだと思う。
アイパッドはドキュメンテーションを自然に生み出す装置だと思う。
例えば、跳び箱で台上前転を撮影記録する。それを小グループで見合って、教師もその中に入り解釈して、次のやってみるに繋げる(この前提としてどのような台上前転がいいのかというイメージが共有できていないといけないけれど)。体育の他の人の授業でも見たことがありますし、自分でもアイパッドを体育の授業に持ち込むことがあるけれど、こういうことが自然に起きてくる。体育の授業が効果的になる要因は他にもたくさんあるだろうけれど、これも一つのパタンとして重ねられることで、今の時代は、アイパッドの活用法としてかなり普通に行われていることだと思う。レッジョエミリアの教育はこんなんじゃないけれど、ドキュメンテーション的なものは、普通にあるということ。