カント先生の散歩を読んで、老いについて考えた。もともと行動範囲の狭いカント先生の行動範囲がどんどん狭くなっていく。長らく家事代行をしていた人物に虐待されることもあった。

体が動くうちに後悔のない仕事をしたい。体が少しずつ動かなくなっていくだろうけど、その状況に合わせてうまく判断できるかな。今は、まだ元気だから自分のできることやること。生きることを楽しむこと。

純粋理性批判が出たのが確か四十代の頃かな。1781年だったかな。僕が生まれた時から200年前だったので記憶できた。

カントって、すごいマイペースな人だった。三十代になっても、ずっと契約社員みたいな立場だったのですが、ちょっと遠いところの大学の職場から正規の大学職員の仕事で声がかかっても健康上の理由などから断っている。何が自分にとって大切なのかというのが、ものすごくしっかりある人だった。

どういう歴史背景から、「永遠平和のために」などが執筆されたのか、この本でよくわかった。

カントの書物もグリーンという友人との対話の影響が大きいらしい。ドゥルーズも同じだな。

僕は、どうだろう・・・。かなり一人で考えるタイプだけど、最近のあすこまさんの本にあったけど、外にあったものを自分の中に取り込むような作文やプレゼンテーションをしています。それも対話の一種だとは、思う。僕は一人で考えているわけではない。あまりに多くの直接観察したこと、同じ職場に人とのおしゃべり、読書などから、自分の考えは形成されている。だから本当の意味で一人ではない。

フィードバックがもうちょっと欲しいなというのは、あるけど、まだまだ自分の外側にあるものから学ぶべきことが多くて、助言や感想などのフィードバックが人からなくても、歩んでいかないといけない。さらには、僕の実践と思想は、密接に絡み合っているので、日々の生活や仕事の過程や結果に埋め込まれるようにフィードバックがあるので、それを受けとる僕の感性や知性の方が大きな問題であると思う。そういう意味でフィードバックもないわけではない。どのようなフィードバックがあり、どのようにそのフィードバックを受け取り、どのように自己調整していくのか。それが大きな問題だ。

 


また「永遠平和のために」を読みたい。その理念を受け継ぎたい。

 

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