リーディングワークショップ 思考 発散

最も自由度が高い読書がいわゆる自由読書と言われているものだと思う。実はこれが一番楽しい時間だとの子どもの発言が英語のリーディングワークショップの本には書いてありました。読みたい本を読むのがやはり一番楽しいのでしょうか。リテラチャーサークルは選択できるけど、その分自由度が減ります。読み聞かせや聞かせ読み、読書へのアニマシオンはさらに自由度が減ります。厳密には拒否できるので、読書へのアニマシオンに自由がないわけではないです。自由度がなくなるほど、担任の意図が強く反映されてくると思います。リテラチャーサークルは、選択肢が多いほうがいいですが、もし少なくても、本質的にたぶん相手のとの関係からの選書で勝負が決まると思いました。アニマシオンはもっと選書で勝負が決まってくると思います。


読書の最初の時期ほど、読むのが楽しいということが大きな問題になると思います。小学校は卒業するまで、このことが大きいと思う。まず読むこと自体の抵抗を減らすのが大事な課題。其の上で、ためになるという視点の選書が大事になると思います。


教育観・目的観の話。
「自律した読み手を育てる。」
「良書を読ませる。」
という話がメールのブッククラブをしていてありました。

目的的目的というのでしょうか、教育の本当の目的は上記の目的のさらに先にあることなので、上記の目的を目標と考えて「自律した読み手を育てる」というリーディングワークショップの目的も、今までよくあった「良書を読ませる」という目的も、僕は両立すると思います。両方の目標もその先にある目的との関係の中で位置づければ問題がないと思いました。「良書を読ませる」ことは、児童が良書を読むこと自体に目的があるわけではなく、良書を読む体験からの成長だったり、気づき、人間形成に目的があります。リテラチャーサークルの選択肢に入れたり、アニマシオンや読み聞かせで、子供たちに良書に直接縁をさせることができると思います。自律した読み手を育てるためには、自由読書の時間をつくったり、選書のためのミニレッスンをするなどをすればいいと思います。それ以前に本を読む喜びを知ることです。


教育の目的は、
人生の目的と教育の目的が一致するべきであるという観点から、
教育の目的は幸福な生活にあると考えています。
そうすると幸福な生活とは何かとか、幸福論になってしまいますが、
僕はトルストイとか仏教に影響を受けていて、価値創造が人間の幸福、人生の充実に大切だと考えています。だから、よき読み手・書き手を育てる、強制はできませんが良書を読ませる、学び方を教えるというのもすべて教育の目的に従属する目標だと考えています。

前の日記の関連で「人格の完成」も教育の目的だと思います。「幸福な生活」と「人格の完成」は密接に関係していて、ほぼ同じ的だと思います。的は違うけど重なっている感じ。僕の幸福観では人格の向上なしに、本当の意味で幸福な生活はありえないと思います。人格の完成というのは、挑戦をして人間の可能性を開いていく感じ、その完成というのは終わりのない理想であり軌道であると思う。自分の可能性を開いていくところに喜びがあると思います。

良書 基準

>「良書」とは、誰が、どういう基準で決めるのですか?
こういう質問をいただきました。それで考えているうちに、大きく4つの基準が自分の中にあることに気がつきました。④は②に関わってくることで、物語限定です。

①快適と不快
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすか
③時間(どれだけ長く生き残っているか)
④登場人物がどうか