「水打つて地球の終はりを待つてゐる」北大路翼


この俳句もすごいと思う。
太陽にも寿命があるというけれど、終わりがあるのだ必ず。でも、またどこかで始まる。


「地球の」は主語の働きかな?

主語ととるか、取らないかで、意味が変わってくる。

話者が地球の終わりを待っているのか。

「地球の」が主語でも何の終わりを待っているのかわからないのか。
地球が地球の終わりの待っているのかと思ったけれど、違う読み方もできる。
地球が水をうっていて、地球が地球の終わりをまっていると読むのが自然か。


地球が水を打って、地球が何かの終わりを待っているといるとも読めるか・・・。