ああだこうだ考えて、教育におけるフィードバックの定義をまとめたら、こうなった。
「フィードバックとは、教育経験から得られる、教育経験の改善に繋がる情報である。」
これで評価をフィードバックに含めることができる。
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 フィードバックとは、教育経験から得られる、被教育者の理解や教育経験の改善に繋がる情報のことである。
ちょっと、教育における、フィードバックを定義してみた。
「フィードバックとは、教育実践から得られる、被教育者の理解や教育実践の改善に繋がる情報のことである。」
フィードバックは、教育者にも被教育者にも役立つ情報だから、教育実践という言葉だと、教育者よりになってしまうかな。教育経験だと、生成する経験ということで、どちらもというニュアンスを込めることができると思う。
フィードバックというのは、被教育者について知ることができるけど、教育者の実践がどうったのか、どうすればいいのか、そういったことに繋がる情報でもある。
だから、シンプルに「フィードバックとは、教育経験の改善に繋がる情報である。」これでいいかもしれない。もしくは「フィードバックとは、教育実践から得られる、教育経験の改善に繋がる情報である。」
「教育経験から得られる」よりも「教育実戦から得られる」の方がいいかもしれない。フィードバックが得られるのは、教育実践だけではないか。どこから得られるかを限定する必要ないか。実践そのものと、実践から生み出される例えば、子どもの作品は関連があっても別のもの。それぞれ情報として捉えることができれば教育者にも被教育者にもフィードバックになる。
シンプルにやはり「フィードバックとは、教育経験の改善に繋がる情報のことである。」、これがいい。
いや、これじゃダメだ。教育経験の改善に繋がる情報は、フィードバックに限らない。どこから得られるのかという限定は必要だ。元に近くになるかな。「フィードバックとは、教育経験から得られる、教育経験の改善に繋がる情報である」経験という広い概念にしてしまえば、教育実践も子どもたちの作品や声なども全部含めることができる。教育の極限概念を考えたことが、役立ったかもしれない。
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