教育思想

参考にしたい最近学んだ教育の考えをまとめました。

牧口常三郎
「経験より出発せよ。/価値を目標とせよ。/経済を原理とせよ。/学習に於て、時間に於て、費用に於て、言語に於て、音声に於て、常に経済原理を旨とし、文化価値を目標として進め。/天上を仰いで歩むよりは、地上を踏み占めて、一歩一歩に進め。」(全集第五巻27項)

ジョンデューイ
「何よりも重要なことは、もたれる経験の「質」にかかっているのである。」

経験には二つの側面がある。
①快適と不快の側面
②経験がその後の経験にどのような影響を及ぼすかという側面

「教育者の基本的責任は、年少者たちが周囲の条件によって、彼らの現実の経験が形成されるという一般的な原理を知るだけでなく、さらにどのような環境が成長に導くような経験をするうえで役立つかについて、具体的に認識することである。何よりも先ず、教育者は、価値ある経験の形成に寄与するにちがいないすべてものが引き出せるようにと存在している環境−自然的な、社会的な−をどのように利用すべきであるか、そのことを知らなければならない」57項

ペスタロッチ
教育の根本原理

「私の経験によれば、すべての命題が直覚的な意識ないし実在関係に固く結びつけられた経験の意識によって、真理として彼らに現れるか否かに一切は依存する」「そのような背景のない真理は、彼らにとっては多くの場合なお不適当な、そして厄介な単なる玩具に過ぎない」だからいかなる『言葉の教授』でもなくて、ただに直観が重要であって、……子供たちの間なりその周囲なりに起ることが、子供たちに明らかになるように、他の人が二十の言葉で説明するところを、君がもし二つの言葉で現わすために、幾夜も徹夜を続けなければならないとしても、その眠らない夜を惜しむな」平凡社全集一巻61項『シュタンツだより』から 

「生活が陶冶する」『白鳥の歌』から



ペスタロッチー全集8巻平凡社
【解題】5項から主な教授の法則

1、教授の基礎は直観である。

2、学習の時期は判断や批判の時期ではない。

3、教授は最も単純な要素から出発し、そこから児童の発達に応じて心理学的の順序で行われなくてはならない。

4、教材は児童の自由の精神的所有になるまで、それぞれの点に留まっていなくてはならない。

5、教授は児童の自己活動によるべきだ。

6、教育上児童の個性は神聖なものとして尊重しなくてならない。

7、基礎教育の主要目的は、知識や技法ではなくて、精神力の発達だ。

8、知識には能力が、認識には技能が結びつかなくてはならない。

9、教師と生徒との接触、時にまた学校の訓育は愛によって行なわれ、愛によって支配されなくてはならない。

10、教授は教育の目的に従属しなくてはならない。
教授は心術の醇化ないし善への意志の強化を目的とし、内的の富を生産し、全人間を改善し向上させて、その生活と活動とに高い霊感を与えなくてはならない。

ルソー「エミール上」

「わたしたちがほんとうに研究しなければならないのは人間の条件の研究である。わたしたちのなかで、人生のよいこと悪いことにもっとも耐えられる者こそ、もっともよく教育された者だとわたしは考える。だからほんとうの教育とは、教訓を与えることではなく、訓練させることにある。」32項

「悪はすべて弱さから生まれる。子どもが悪くなるのは、その子が弱いからにほかならない。強くすれば善良になる。なんでもできる者はけっして悪いことはしない。」81項


「ひとたび原則がわかれば、わたしたちはどこで自然の道にはずれたかをはっきり知ることができる。そこで、自然の道にとどまるにはどうしなければならないかを見ることにしよう。」
 「自然によってあたえられたすべての力、子どもが濫用することのできない力を、十分をもちいらせなければならない。第一の格率」
 「肉体的な必要に属するあらゆることで、子どもを助け、知性においても力においても子どもに欠けているものをおぎなってやらなければならない。第二の格率。」
 子どもの助けてやるばあいには、じっさいに必要なことだけにかぎって、気まぐれや、理由のない欲望にたいしてはなにもあたえないようにすること。(中略)第三の格率。」
 「子どものことばと身ぶりを注意ぶかく研究して、いつわることのできない年齢のある子どものうちに、直接に自然から生ずるものと憶見から生じるものを見わけなければならない。第四の格率。」
 これらの規則の精神は、子どもにほんとうの自由をあたえ、支配力をあたえず、できるだけものごとを自分でさせ、他人になにかもとめないようにさせることにある。こうすればはやくから欲望を自分の力の限度にとどめることにならされ、自分の力では得られないものの欠乏を感じなくてもすむようになる。」83項

「人間よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ」102項

「ほんとうに自由な人間は自分ができることだけ欲し、自分の気に入ったことをする。これがわたしの根本的な格率だ。ただこれを子どもに適用することが問題なのであって、教育の規則はすべてそこから導かれている。」112項

「子どもを事物への依存状態にとどめておくことだ。そうすれば、教育の進行において自然の秩序に従ったことになる。子どもの無分別な意志にたいしては物理的な障害だけをあたえるがいい。あるいは行動そのものから生じる罰だけをあたえるがいい。そうすれば、子どもは機会のあるごとにそれを思い出す。悪いことをしようとするのをとめたりしないで、それをさまたげるだけでいい。経験、あるいは無力であること、それだけが掟に代わるべきだ。ほしがるからといって、なにかあたえてはならない。必要なばあいにこそあたえるべきだ。」115項

「きびしくしすぎるとうこともあるが、やさしくしすぎるということもある。どちらもさけなければならない。」


服従することによってではなく、ただ必然によってなにごとかをなすべきこと、」123項

「感覚的な事物にだけ刺激されているあいだは、子どものすべての観念が感覚にとどまるようにするがいい」123項

「子どもにたいしては力を、大人にたいしては道理をもちいるがいい。それが自然の秩序だ。賢者は法律を必要としない。
 生徒をその年齢に応じてとりあつかうがいい。まずかれをその場所において、そこにしっかりとどめておき、そこから抜けだせないようにすることだ。そうすれば、知恵とはどういうものかを知るまえに、子どもはもっとも重要な知恵の教えを実行することになる。生徒にはぜったいにないも命令してはいけない。どんなことでもぜったいにいけない。あなたがたはかれにたいしてなんらかの権威をもつと思っていることを子どもに考えさせてもいけない。生徒にはただ、かれが弱い者であること、そしてあがたがたが強い者であることをわからせるがいい。かれの状態とあながたがたの状態とによってかれが必然的にあなたがたに依存にしていることをわからせるがいい。それを知らせ、教え、それをわからせるがいい。かれの頭上には、自然が人間にくわえる厳しい束縛が、必然の重いくびきが課せられていること、あらゆる有限な存在はそれに頭をたれなければならないことをはやくからさとらせるがいい。その必然を事物のうちにみいださせるがいい。けっして人間の気まぐれのうちに見させてはならない。かれをおしとどめるブレーキは力であって、権威であってはならない。してはならないことを禁じてはいけない。なんの説明もしないで、議論もしないで、それをするのをさまたげるがいい。」127項

「ことわったらぜったいにそれを取り消さないことだ。どんなにせがまれても心を動かされてはいけない。「だめ」といったら、このことばは鉄の扉であってもらいたい。それにたいして子どもは、五回か六回、理からをつかいはたしたあげくにはもうそれを打ち破ろうとはしなくなるだろう。」128項

「人間の本性は事物からくる必然にはじっと耐えることができるが、他人の悪意にたいしてはがまんできないのだ」128項

「いちばん悪い教育は子どもを自分の意志とあなたがたの意志とのあいだに動揺させ、あなたがたと子どもと、たがいに勝とうとして、たえず言い争いをすることだ。」128項

「わたしたちは子どもを束縛し、押しやり、ひきとめる。ただ必然の絆をもちいてそうするのであって、子どもがそれにたいして不平を言えないようにする。事物の力だけで子どもを柔軟に、そして従順にして、子どものうちにどんな悪も芽生えさせないようにする。」129項

「ことばによってどんな種類の教訓も生徒にあたえてはならない。生徒は経験だけから教訓をうけるべきだ。どんな罰をくわえてはならない、生徒は過ちをおかすとはどういうことか知らないのだから。けっしてあやまらせようとしてはならない、生徒はあなたがたを侮辱するようなことはできないのだから。その行動にいかなる道徳性もないのだから、生徒は罰をうけたり、しかられたりするような、道徳的に悪いことはなに一つすることができない。」129項


教育ぜんたいのもっとも重大な、もっとも有益な規則
それは「時をかせぐことではなく、時を失うことだ。」132項

「初期の教育は純粋に消極的でなければならない。それは美徳や真理を教えることではなく、心を不徳から、精神を誤謬からまもってやることである。」132項

「いろいろな考えを評価する判断力が生まれるまえのあらゆる考えを恐れなければならない。」133項

「到達できるだろうとは言わないが」「一人の人間をつくることをあえてくわだてるには、その人自身が人間として完成していなければならない、ということを忘れないでいただきたい。考えていることの実例を自分のうちにみいださなければならない。」134項

「子どもの先生になるためには自分自身の支配者にならなければならないということをいくらくりかえしても十分とはいえない」140項

「あらゆることにおいてあなたがたの教訓がことばによってではなく、行動によって示されなければならないということを忘れないでいただきたい。」146項

「教師たちよ、見せかけはやめることだ。有徳で善良な人間であれ。あなたがたの模範が生徒たちの記憶にうちにきざみこまれ、やがてはかれらの心情にまで沁み透るようにするがいい。わたしは生徒にいそいで慈善行為をさせるようなことはせず、かれの見ているところで自分でそれをすることにしたい。」155項

「子どもにふさわしい唯一の道徳上の教訓、そしてあらゆる年齢の人にとってもっとも重要な教訓、それはだれにもけっして害をあたえないということだ」157項

書物について
「しかし、その道具が子どもの楽しみに役立つようにするがいい、そうすればやがて子どもは、あなたがたがどうしようと、それに熱中しはじめるであろう」185項

「もっと確実な手段、しかもいつまでたっても人がきがつかないでいる手段は、学びたいという気持ちだ。子どもにその気持ち起させるがいい、」185項

「さしせまった利害、これが大きな動機だ、確実に上達させる唯一の動機だ。」185項

「一般に、いそいで獲得しようとしないものはきわめて確実に、そして速やかに獲得される、ということだ」186項

「若き教育者よ、わたしは一つのむずかしい技術をあなたに教えよう。それは訓戒をあたえずに指導すること、そして、なに一つしないですべてをなしとげることだ。」「これこそ成功に導く唯一の技術なのだ。」190項

「子どもの教育という仕事においては、時をかせぐために時をむだにすることをこころえていなければならない。」237項

「無知はけっして悪を生みださなかったこと、誤謬だけが有害であること、そして人はなにか知らないためにではなく、知っていると思っているために誤ること、そういうことを忘れずに、たえず心にとめておくがいい。」287項

「世界のほかにはどんな書物も、事実のほかにはどんな授業もあたえてはならない。」289項

「なにごとも、あなたが教えたからではなく、自分で理解したからこそ知っている、というふうにしなければならない。かれは学問を学びとるのではなく、それをつくりださなければならない。かれの頭のなかに理性のかわりに権威をおくようなことをすれば、かれはもはや理性をはたらかせなくなるだおる。もはや他人の人々の臆見に翻弄されるだけだろう。」289項

「なぜはじめに対象そのものを示してやろうとはしないのか。」290項

「子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問を学ぶための方法を教えることが問題なのだ。これこそたしかに、あらゆるよい教育の根本原則だ。」297項

「けっして強制ではなく、いつも楽しみと欲求とがそういう注意を生み出すのでなければならない」297項

「どんなことになっても、なんでもかれが退屈しないうちにやめることだ。」なにか学ぶということはそれほど大切ではないので、心ならずもなにかするようなことはけっしてない、ということのほうが大切だからだ。」298項

「かれのほうから質問してきたら、好奇心を十分にみたしてやるのではなく、それをはぐくむのに必要な程度の返事をしたらいい。ことに、なにか知ろうとして質問するのではなく、いきあたりばったりにくだらない質問をしてあなたがたを困らせようとしていることがわかったなら、返事するのをすぐにやめることだ。そのばあいには、かれはもう事物には関心をもたないで、ただ自分の質問に答えさせようとしているにすぎないことはたしかだ。かれが発することばよりもむしろかれに話しをさせる動機に気をつけなければならない。こういう注意は、これまではそれほど必要ではなかったのだが、子どもが議論をするようになるとすぐに、このうえない重要性をもつものとなる。」298項

「わたしたちのほんとうの教師は経験と感情なのであり、けっして人間は人間にふさわしいことをかれがおかれている関連の外で十分によく感じることはないからだ。」312項

「人間の状態についての、かれの能力をこえた観念にたいしては完全に無知でいなければならない。わたしの書物ぜんたいはこの教育原則をたえず証明しているにすぎない」312項

『「それはなんの役にたつのですか。」これが今後、神聖なことばとなる。わたしたちの生活のあらゆる行動においてかれとわたしとどちらが正しいかを決定することばとなる。これがかれのあらゆる質問にたいしてかならずわたしのほうから発せられる質問となる。そしてこれは子どもに多くのばかげたくだらない質問をやめさせる手段となる』313項

「わたしはことばでする説明を好まない。年少のものはそれにあまり注意をはらわないし、ほとんど記憶にとどめない。実物!実物!わたしたちはことばに力をあたえすぎている、ということをわたしはいくらくりかえしてもけっして十分だとは思わない。わたしたちのおしゃべりな教育によって、わたしたちはおしゃべりどもをつくりあげているにすぎない」316項


「よく判断することを学ぶいちばんいいやりかたは、わたしたちの経験をできるだけ単純化すること、さらに、誤りにおちいることなしに経験せずにすませられるようにすることだ」370項

「なによりも重要なことは、自分はいま知らないがいずれ知ることができるたくさんのことがあるということ、ほかの人は知っているが自分は一生知ることがないもっとたくさんのことがあるということ、さらに、どんな人間もけっして知ることができないことがほかにも数かぎりなくあるということだ。」374項

『かれがするあらゆることについて、「なんの役にたつか」を、そして、かれが信じるあらゆることについて、「なぜ」を、かれがみいだすことができるなら、それでわたしは十分だ。もう一度いえば、わたしの目的はかれに学問をあたえることではなく、必要に応じてそれを獲得することを教え、学問の価値を正確に評価させ、そしてなによりも真実を愛させることになる。こういう方法をとれば、人はあまり進歩しないが、一歩でもむだに足を踏み出すことはないし、あと戻りしなければならなくなることもない。』375項