ペア読書 御書の世界

御書の世界〈第2巻〉人間主義の宗教を語る

御書の世界〈第2巻〉人間主義の宗教を語る

昨日は友だちの家でペア読書。
ゴッホドストエフスキーが好きで、聖書や原始仏典を読む友だちです。大乗仏典はあまり読んだことがないみたいでしたが、この2,3ヶ月で、法華経日蓮の人と思想について学ぶことを楽しんでくれている様子なので嬉しいです。僕自身も一人で読むよりも、友だちと音読して、それについて語り合うことが、とても楽しいし、理解を深められるので、嬉しいです。

せっかく勉強しているので、少し振返ろうと思います。
昨日は日蓮の人と思想の話で「法難」と「御本尊」のところでした。

日蓮は16歳で出家して、32歳で立宗宣言をしました。その間、勉強をされていたわけです。プラトンの哲人教育はたしか30歳までプランだったと思います。それだけ勉強が必要なんですね。信仰者というと、あまり理性的なイメージがない人がいるかもしれませんが、日蓮は文献や事実から語る証拠主義で、しかも論理的で、もの凄く頭脳明晰な人です。それに細やかで、勇気と情熱の人です。あと慈悲です。日蓮は慈悲そのものだと思います。

「法難」
立宗宣言をされてから、様々な難がありました。「大事の難・四度」といわれているように、竜の口の法難から佐渡流罪など大きな難が四つありました。


フランクルの引用がありました。


池田「フランクルの言葉を再び取り上げてみたい。大きな苦難、とくにナチスという悪の権力による最悪の迫害を越えてきた人だけに、彼の言葉には人間への深い洞察があります。彼はこう言っている。
『われわれは他者の人生に意味を与えることはできません−−われわれが彼に与えることのできるもの、人生の旅の餞として彼に与えることのできるもの、それはただひとつ、実例、つまりわれわれのまるごとの存在という実例だけであります。というのは、人間の苦悩、人間の人生の究極的意味への問いに対しては、もはや知的な答えはあり得ず、ただ実存的な答えしかあり得ないからです。われわれは言葉で答えるのではなく、われわれの現存在そのものが答えなのです』(山田邦男訳、『意味への意思』、春秋社)
 少し難しいかもしれないが、要するに、人を救う力を持っているのは、フランクルが『実例』とか『現存在』と言っているもの、つまり『現実に生きる人間の姿』だけであるということです」139項

ほんとうに素晴らしいと尊敬する人生がたくさんありますが、日蓮ほど、人間の可能性に対するヴィジョンを深く広げてくれる人生は他に知らないです。人の大きな可能性を信じている人でも、時には信じられなくなりそうになることがある。見えていた可能性のヴィジョンに暗くなってしまうときがある。そんな時に、いつも自分をその可能性に対して目を開かせてくれて、勇気をくれるのが日蓮の人生です。「誓願」の人生は強いです。絶対に壊れない希望がある。


御本尊は、
ブルーハーツの歌詞にあるように、
「永遠なのか、本当か、時の流れは続くのか、いつまで経っても変わらない、そんなものあるだろうか」
「答えはきっと奥のほう、心のずっと奥のほう 涙はそこからやってくる 心のずっと奥のほう」(ブルーハーツ「情熱の薔薇」より)
心のずっと奥のほうにある永遠なる存在を
日蓮が、
日蓮がたましいをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給え、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましいは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」147項
とあるように表現された曼荼羅のことです。御本尊は法華経の宝塔品の場面が使って、描かれたものです。真中に南無妙法蓮華経日蓮とあります。その周りに、釈迦如来とか多宝如来などとあったと思います。御本尊と言うときには、その曼荼羅を意味する場合と、生命に内在する法そのもの、すなわち南無妙法蓮華経を意味する場合があると思います。曼荼羅は生命に内在する永遠の法、すなわち南無妙法蓮華経日蓮が「すみにそめながして」書かれたものです。この生命に内在する真理を、後生が悟ることのできるように、その真理の明鏡として残してくださったということだと思います。


前に読んだところもしっかり振返ったほうがいいですね。田中ちがくなどの日蓮主義者たちの日蓮の読みは酷いです。立正安国論は、客と主人の対話形式になっている文章です。客が問題提起をして、主人が答えるという内容だっと思います。主人が日蓮の考えを代弁しているのに、前後の文脈を無視して、客の言葉だけ引用して国家主義者の都合のいいように読む。こういった詐欺師がいるので、ほんとうに気をつけたほうがいいです。どれだけ偽りのイメージが広がってしまったか。原文を読むとすぐに嘘だとわかるし、ほんとうに酷いと思います。