- 作者: ルドルフドライカース,Rudolf Dreikurs,宮野栄
- 出版社/メーカー: 一光社
- 発売日: 1996/04
- メディア: 単行本
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他の本で、大切なことが二つあり、ひとつは教師が毅然としていることであるという内容が最近ありました。毅然としているとは、自分自身を低く見積もらないということです。
「子どもを育てる時に出会う困難のすべては、人間関係の持ち方を間違っていることから起ります」124項
選択理論やファシリテーションの本を思い出す。特に最近読んだファシリテーションの本では、ファシリテーターの一念(あり方・考え方など)がグループのメンバーに大きな影響を与えるということが「会話」「思考」によって、よく描かれていました。その本を読んだときには、『学び合い』も思い出しました。西川先生が『学び合い』は考え方だと強調されるのはこういうことかと思いました。
あべたか先生もたしかブログでおっしゃっていたのですが、『学び合い』というネーミングが誤解を生んでいるように自分も思いました。「学び合い」という言葉は当たり前すぎるし、「学び合い」という言葉自体は「考え方」というよりは「方法」の意味に近いと思います。『学び合い』を考え方であるとするならば『学び合い論』というネームミングの方がよかったかもしれないと考えました。実際に西川先生が言葉で転回されているのは、「学び合い論」だと思います。でも『学び合い』の手引きを読むなど認識するという作業を怠らなければ、『学び合い』は考え方だということが分かると思います。しかしそこまで行きづらいのではないかと思う。名前だけ聞いて「学び合い論」だと「へーどんな考えだろう」となりそうだけど、『学び合い』だと「ふーんそれで」という反応になりがちじゃないかと思います。