読書 生き延びるためのラカン

生き延びるためのラカン (木星叢書)

生き延びるためのラカン (木星叢書)


佐々木中さんがラカンについて語っていて、再び興味をもちました。

「あの地動説のガリレオがこんなことを言っている。『他人になにかを教えることなどできない。できるのは、自力で発見することを助けることのみだ』とね。これなんか、すごくよくわかるな。このガリレオの言葉は、教育はおろか、転移というものの本質にすら射程が届いている。『発見を助ける』ってことは、発見したいという欲望、つまり『知への欲望』を、転移を通じて伝えることにほかならないからだ。
 思うに、これってあらゆる『教育』の基本なんじゃないだろうか。のぞましい教育っていうのは、ただ知識や情報を子どもに詰め込むことじゃない。すぐれた教育者は、ほどよい転移関係の中で、相手に『学ぶ姿勢』(これもまた『知への欲望』のひとつだ)を伝染させることができる人だ。
 よく『算数や社会が将来なんの役に立つの?』という疑問を口にしたがる人がいる。その気持ちはわかるけど、でも肝心なのは、知識そのものじゃないんだ。人間の心っていうのは、自然体のままでは、しばしばかたくななものになりがちだ。学校の勉強というのは、子どもたちの堅い蕾のような心に、いろんな形の好奇心(=『知への欲望』)をインストールして、柔軟なものにするところに意味がある。だから、本当は学校で習ったことなんて、内容は全部忘れたっていいんだ。
 これは子育てだって同じこと。しつけ、つまり命令や指示だけで子どもが言うことを聴いてくれるのは、せいぜい小学校低学年くらいまでだろう。思春期を過ぎた子どもには、もうそんな方法は通用しない。子どもに倫理観や社会の常識をしっかりと持ってもらいたければ、まず親が倫理的・常識的に振る舞ってみせなければいけない。つまりそういう方法で、倫理や常識への欲望を、子どもたちに伝えていくしかないんだね。
 考えてみれば、僕がN先生から一番影響を受けたのも、『患者にとって良い臨床家でありたい』っていう欲望の部分だったかもしれない。治療の中で、患者に腹を立てたり、話を聞くのが面倒になったりしたときに、僕は反射的に『N先生だったらどうするか』を思い浮かべてしまう。臨床家としてのN先生の影響は、やっぱりいまだに大きいんだなあ」241項


かなり教育のヒントになる。
見えない欲望も含めて「模範に勝る教育なし」ということか。
子どもたちは教師の欲望を生きることになってしまうかもしれないということを思いました。いろいろ意味で思い仕事です。


N先生はおそらく日本を代表する精神科医の野田正彰氏のことだと思う。野田正彰氏の描いたような学校を連続で経験しました。

させられる教育―思考途絶する教師たち

させられる教育―思考途絶する教師たち


3月のビジョン。
一人ひとりに突き抜けて学ぶ勢いがあること。
一人ひとりに力がついたという実感と言語化があること。
あと数値目標が必要。そして具体策。教育の質の管理。
僕の師匠のビジョンはこれほど貧しくはないけれど、
同じ方向を向いていると思います。負けるわけにはいかない。