ロダン

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 彼の十代にはこんなエピソードがある。パリの庶民の街に生まれ、貧しい庶民の家庭に育ったロダンは、彫刻家を志し、当時、芸術家の登竜門であった「官立美術学校」に挑戦する。十七歳前後−−ちょうど諸君と同じ年代になろうか。ところが、彼の希望に反して失敗。それも得意の彫刻の試験で不合格であった。次の年も、またその次の年も、合格の報はロダンには届かなかった。三度目の落第で、彼は受験資格を失い、官立美術学校の門は永久に閉ざされてしまう。
 「見込みがない」「まったく才能が見あたらない」という烙印が容赦なく押されたのである。
 世間は矛盾だらけである。正しき”眼”を持っていないともいえよう。問題は、その矛盾を突きぬけ、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
 当時は、この美術学校の学位がなければ、芸術家としては認められないような時勢であったという。彼はまだ二十歳前。激しい落雷のように、青春を襲った挫折であった。
 ある伝記によれば、この時、落胆し、憔悴しきったロダンは、母校のボアボードラン先生のもとを訪ねた。ところが、その先生は彼を慰めるどころか、断固とした口調で言いきった。
 「(=落第は)君にとってはこの上なくよいことだった。……君は、ミケランジェロが、《官立美術学校》を必要としたと思っているのかね?」(ディヴィッド・ウァイス『ロダンの生涯』榊原 晃三訳、二見書房)”この失敗は嘆くどころか、未来の大成のためにはかえって幸運であった。古ぼけた権威に認められなくともよい。君は君らしく、新しき勇者の道を切りひらけ”というのである。彼は奮起した。


 誠実な言葉の力は偉大である。また教師の責任、そして喜びも、まことに大きい。若き魂の奥深くに、自己の生命をそそぎこんでいく。それが将来の”魂の巨木”の種子となっていく。
 もちろん人間を育てる作業は一律であってはならない。いつも決まりきった答えを押しつけているようでは、鋭敏な若人を納得させることはできない。魅力もない。一人一人に応じた魂の対話が必要である。その意味で、教師も、ともに成長していかねば、教育の世界の充実はない。
 もし、ロダンが、この師の励ましを受けず、彫刻をあきらめていれば、あの数々の世界的名作は生まれなかった。彼は、落第生と決めつけられ悔しさをバネとして、その後の全生涯をかけて「十九世紀最大の彫刻家」たる自分をつくりあげていったのである。


たくましき「楽観主義」で


「自分なんかもうだめだ」と思うような瀬戸際の時が、諸君にもあるにちがいない。じつは、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。
 「自分」という人間を決めるのは、だれか−−。自分である。「自分」という人間をつくるのは、だれか。これも結局は自分以外にない。他人の目や言動に一喜一憂する弱さは、それ自体、敗北に通じる。
 ロダンは、その後二十年にもわたり、彫刻家の助手、建築彫刻、石膏取りなどの下積みの仕事をかさねながら、徹底して勉強し、実力をつけていった。
 ほめてくれる人は、だれもいない。苦労して作った作品も、少しも売れない。貧しい身なりのため、図書館からの貸し出しも制限されてしまう。
 しかし、わが道を定め、行動に徹しゆく人の心は、どんな境遇に置かれても、きょうの青空のように晴れやかである。
 下積みもなく、歯をくいしばるような辛苦もなく、かんたんに得られた名声や成功は、ホタル火のようにはかない。人間としての黄金の光を放つことはできない。労苦こそが自身の不滅の「人格」を磨くのである。
 ロダンはのちに、こう振り返っている。「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。いつでも嬉しかった。私の熱心さは無限でした。休む間もなく勉強していました。勉強は一切を抱擁していたのです」(『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波書店)と。
 努力即幸福である。努力即勝利である。とともに、後年、ロダンは、弟子たちに”青年はあせってはならない”と繰り返し教えていたという。「一滴一滴、岩に喰ひこむ水の辛抱さ」(『高村光太郎全集』第7巻(ロダンの生涯)、筑摩書房)を持たねばならな、と。これは芸術のみならず、万般にわたって、大事を成しゆくためのポイントであろう。
 岩にきざむ忍耐で、鍛えの青春を送った人は、年とともに光ってくる。「人格」が輝き「知性」輝く。「精神」の果実の豊かな味わいがでてくる。その人こそ、真の栄光の人なのである。
 さて、ロダンが五十八歳の時に発表した文豪バルザックの像は、世間から悪評の集中砲火をあびる。しかし、だれに何といわれようとも、彼は十年近くの歳月、全魂をかたむけた自分の仕事に、満々たる「自信」と「誇り」をもっていた。
 ロダンはこの時、「全世界が反対しようとも、あの作品に私は責任をもつ」と断言したという。その裏付けには、だれにも負けない血のにじみでるような「努力」の積みかさねがあった。自分の「努力」は、自分自身が一番よく知っている。
 このロダンの言葉は、まことに味わい深い。どうか諸君も、この一生で何でもよい、いかなる分野であってもよい、「全世界が反対しようとも」と言いきれるものを、自分らしく成し遂げていただきたい。
 時には、傲慢な権威のカベに押し返されることがあったとしても、くじけてはならない。むしろ、それ以上の勢いで、みずから信じる道を、誠実に、粘り強く求めぬいていく。私は、そうした強き「獅子の心」で、この青春を勝ち取っていただきたいと切望する。
=========================================全集57巻 104項
ロダンの努力と自己一致。