本 私と世界、世界の私 13歳からの大学授業

私と世界、世界の私 13歳からの大学授業 (桐光学園特別授業4)

私と世界、世界の私 13歳からの大学授業 (桐光学園特別授業4)

これよさそうだ。
どうにか子どもたちを学ぶことの喜びに導けないかといつも思う。
脳科学にしても、ポプラディアくらいだとうーん。
もっと勉強の仕方が変わっちゃうような脳科学の知識とか。
脳科学の知識でもう繰り返すしかないぜと腹が決まるとか、
そういった自分が変わるような経験が必要。それだけの深さが知識に要る。


中学校の教科書もそうだけど、
どう読んでも学問っておもしれーやべーとは誰もなれない。
何でも学問の深い世界まで降りていくとスリリングでヤバイ。ドキドキする。自分の価値観がグラグラになったり、ぶっ壊れたりする。遠い感じですが、そこまでどうにか行かせられないのかと思う。


RWを幼稚園から小学校6年生くらいまで継続するとどれくらい読めるようになるのだろうか。「ソフィーの世界」くらいは読めるようになるのかな。


小学校の英語の目的を思い出す。
学習の基礎を確かにしつつ、読書って楽しいなとか、本に世界に入り込める(フロー)、本の世界に没入する楽しさを知っている、小学生にして読書習慣がバッチシついているとか、そういったことが一番大切なのかもしれない。


中公新書で読んだアメリカの教育の話によると、
アメリカの家庭教育のしつけは問答無用に厳しいらしい。
有無は言わせないで言うこと聞かせる感じだった。
その上に自由な教育があるのだろうと感想を持ったことを思い出しました。
選択して責任があるとか、人を大切にする(迷惑をかけない・尊重する)といったことは学校に行く前にある程度できているんだと思う、たぶん。自立した個人が尊ばれる国。でもアメリカの家庭教育といっても千差万別だろうけれど…。


あせらないこと。本を読む喜びと価値を知っているかどうかが大きな分かれ道の一つだと思う。そこがわかっている子はあまり心配がないのかもしれない。その基礎があれば、たぶんどうにかこうにか中学にいってもやっていくと思う。
でもある程度、自分が変わるような探求の経験がさせられないかなあとやはり思う。



今日印象に残っていることは、
ヒトラークイズをしたこと。
2択の問題。戦国時代みたいに力づくでトップに立ったのか、それとも今の日本みたいに選挙で選ばれた人なのか。今の日本みたいに選挙でヒトラーは選ばれたと考える子はとても少なかった。ヒトラーはドイツの国民に未来を託された人だった。クイズと説明で簡単にミニレッスンをしてから「映像の世紀」5巻を途中まで見ました。1巻よりは断然に起きている人が多かった。1巻のときは移動教室の翌日というのもあったのかもしれない。