柄谷こうじんのフロイト論を思い出す。
人は誰でも攻撃性を持っているらしい。
それをどうコントロールするのか。自律の問題。


しかし攻撃性というかエネルギーの種類なのかもしれない。
もっと人に親切しようとか、
そういったエネルギーに人が変わっていくのを見たことがたくさんある。



自分の世界が広がっていくことで、もっと違った選択肢があることを知る。
それだけで、馬鹿げたことを人はやめていくのかもしれない。
自分も含めて、お互いにとって有害なことを選ぶのは愚かです。


いじめをする人って、他に選択肢を知らないのかもしれない。もっと違った生き方や世界があるということを知らないのかもしれない。それに学校の教育がもっと学習者の学び易いものだったら、違った未来があったと自分は思ってしまいます。それは感性的にも悟性的にも理性的にも違った未来を人は選ぶと思う。