やはり最近考えた通り、
校内研究は仕事だと割り切るべしだと思います。
いかに最小限のエネルギーで乗り切るか。
その決められた方法の中でいかに工夫するか。
たぶんラディカルな話をするところではないです。
そういう問いや意見を言ったら間違いなく場違いになるだけだと思います。
その方法がその地域を超えて日本の算数教育の主流だからです。
とにかく組織人として、その研究で求められていることをやるだけです。



問題解決学習が使える場面は限定的だと思う。


既知の知識をベースに新しい問題に取り組むというのは、

既知の知識の積み上げを前提にしています(それまでに学び残しがないことが前提)。
しかし全員きちんと知識が積みあがっているのでしょうか。
積みあがってない中のでの問題解決学習はどうなんろう。
80パーセント以上学び残しががないことを目標にしている中で
この方法って矛盾してないかなあ。


それによくできる子にきついと思います。
もうほぼ一瞬で問題を解決してしまうので、
どうしても茶番になってしまいます。


問題解決学習がインクルーシブな課題や授業になることって、とても限定的な気がします。全員にとって問題解決学習の方法が適してる課題の時だけ有効だと思います。


この方法をメインにしてどうして学び残しが減るのかよく分からないです。
学び残しを減らすために根本的に有効だと思えない…。


子どもから解決法が出てきて、
共通することを抽出してアナロジーになっているのはいいけれど、
子どもから考え出す意味が必ずあるかというとないかもしれないです。


教師からアナロジーになるように思考を示してそこから気付きを促がしたほうが経済的に概念の理解へ導けるかもしれないです。もっと教え込んで、たくさん問題をこなしたほうが算数がよりみにつくかもしれないです。


イエナプランのような異学年で学びあって自分のペースで学んでいけるほうが、学び残しがなくなるかもしれない。


考えさせるよりも概念の理解が上位の目標だと思う。すごく違和感があって、それが結局なくならない。
考えさせたほうがいいとなっているけれど、本当?って思う。
いつでもそうなの?って思う。根本的な疑いのある研究が仕事になってしまっているけれど、仕事と割り切るのが一番というのは今の結論です。その中でやる。職場はこの方法を極めようとしています。授業案を作りこんで磨きに磨いています。その中で学ばせていただきます。



でもこの方法をもし極めたとしても、
学び残しがなくなりそうもないのが悲しいです。
その方法にある構造的な欠陥の中でいくら努力しても限界があると思います。