プラトンを読むなどして、
知識の質について思いました。


電車の中で社会科などの教科書のレベルの知識を
青白い顔で詰め込み暗記に励んでいる高校生を見るとかわいそうだなって思う。
試験以外に人生の中で他に何の意味があるのだろうと思う。


評価は何のためにあるのか…。






ソクラテスがいろいろな人との対話で獲得させる知識と明らかに質が違う。経験の質が違う。



司法試験から弁護士などを目指していて法律をとことん探究して覚えるのは分かる。
でも歴史で教育の分野だったら、いくらペスタロッチ、デューイ、ヘルバルト、ルソーなどの名まえだけ知っていても何の役にも立ちません。


そういうレベルのことをなぜ求めるのだろう。なぜテストするのだろう。
教育の目的って何?