「生命の増殖だけに役立つ性的本能に、生命のことなど全く忘れた愛が結びついて来た――これは、生命からの素晴らしい解放である。芸術が自然的なものを超える瞬間、同じことが見られ、宗教的なものが恐怖や期待から離れる瞬間、同じことが見られる」11項


「恐らく、人々は、私と同じように、生命というものを世界観の中心に据えて尊重して来たに違いない。そして、その結果、彼らが知ったのは、生命はこれを守るべきものではなく、捧げるものであるということであった。」64項



「自然科学は可能的必然性を目指し、宗教は必然的可能性を目指している」65項

ジンメルのこの表現はシンプルなところが凄い。いや凄いよ。宗教を簡単に切り捨てる人がいるけれど違うね。僕が生き様を尊敬している人たちも宗教を捨てちゃう。それはとっても寂しいことだと思う。残念なことだと思う。でもジンメルは何歩も深いと思う。。「必然的可能性」の話だから。カントの純粋理性批判に通じる極めてシンプルなところが凄い箴言です。


『イエスという男』を読むと、逆に宗教不信に導かれていくけれど、ジンメルは真理の人だと思う。「必然的可能性」の世界です。だから信じるのね。いろいろな宗教家や職業宗教家もいて、職業宗教家の中にも立派な人も酷い人もいて、でもその酷い人たちがすべてではないですからね。よくよく言葉の役割など吟味する必要があると思います。宗教はこの「必然的可能性」を考えるためのものです。

「人間の心というのは、役に立たぬ手段で行う最大の宇宙的な試みである。」72項




「人間を理念まで引き上げることは出来る。しかし、理念を人間まで引き下げることは出来ない」88項


そうだね。ジンメルすげーな。理念って大事だね。

「幾つかの偉大な思想だけは本当に自分のものにしておかなければならない。明るくなるなどとは思いも及ばなかった遠いところまで、それが光を投げてくれるから。」88項


これは誰の思想を指すのだろう。たしかに突き抜けた思想家の本を読むと明るい部屋に入ったみたいですが…。


「大きな問題と、その解決がもう期待されないのに、それでも問題へ向かって行く勇気と、人間として、これ以上のものを望み得ようか。」89項


ジンメル、おいらも勇気を出してがんばります。



「すべての人間だけでなく、すべてのものを自己目的であるかのように取扱うこと――そうすれば、宇宙の倫理が生まれることになろうか」89項

仏陀が志向したことですね。