朝マックで児童書の読書。


試験への戦略変更。
去年苦労した研究授業の指導案をベースにすることにした。
1回授業をやって、授業者として準備を重ねたところで準備したほうが効率が言いにきまっている。本時でやったところを復習して、課題に合わせて本番に修正すればいいだけ。個に合わせてとか、コミュニケーションとか、どんなお題でもどうにでもできると思う。よし。資料を整理して、論文も前に書いたものをベースにさまざまな課題にできるだけ対応できるようにすること。そのためにはあるていど、課題と論文例を再読してインプットすること、ベースの論文を何回も読んでおくこと。そして面倒だけど実際に書いてみること。


□祈る
□たいかんトレーニン
□掃除・洗濯
□資料集め
□試験勉強
□来週の準備



学校の授業も今までのストック使うようにして、できるだけコストをかけないでやれる方向にシフトする。テスト後、夏休み明けにある程度偏った部分を修正できればいいや。



仕事だから諦念してやるしかないけれど、宿泊学習って本当にコストが高いと思う。振り返りを読んで、充実した経験だったみたいでそれが救いだけど、コストに見合う価値があるのかどうかは疑問です。


昔はもっと時間に余裕があったらしい(教員の仕事)。単純に仕事量が増えているから時間に余裕が昔と比べてなくなっていると思う。一度はじめたことをやめることは難しい。一度例えば校庭を芝生にすれば、それにともなって芝生を維持することお金、労力を担うことになる。その芝生をやめたくても、なかなかやめられない。そんなことが積み重なって忙しくなる。だけど、本当に何が必要なのか考えて必要ないものをやめたほうがいい。これがあったほうがいい、あれがあったほうがいい、きりが無い。それよりも子どもたちをゆったり見れる時間的な余裕、授業の準備が十分に取れる時間、学び残した子どもが学びなおせる時間、フォローできる時間、そのための仕組み、研究するための余暇があったほうが、創造的に効率的になると思う。余暇がなければ創造性のある仕事はなかなか生まれない。余暇が進歩の鍵。がんばって、がんばってはがんばっている気になれるけれど、効果的かどうかは分からない。どれだけコストを少なく、少しでも大きな効果を生み出せるか、これが重要。全体の仕組みに関わる人は全員ラッセルの『怠惰への賛歌』を読んでほしいですと愚痴ってもしょうがないか。


怠惰への讃歌 (平凡社ライブラリー)

怠惰への讃歌 (平凡社ライブラリー)

この人は真の賢者の一人だと思う。こういう人に日本の偉い人たちは耳を傾けてほしい。


仕事量が多すぎる→考える時間や研究する時間が少なくなる→仕事の質が悪くなる→体調管理が難しくなる→仕事の効率が下がる→仕事量がさらに相対的に増え余暇が減る。→考える時間がなくなる。→仕事(授業などの質)がさらに悪くなる→体調管理がさらに難しくなる→仕事の能率が下がる→仕事が量さらにさらに増えていて余暇が少なくなる→…。


組織的に仕事量を減らす→考える時間や研究する時間が増える。教員の疲れが軽減して元気になる。→仕事の効率がよくなる考えが生まれる→より少ないコストで高い効果が期待できるようになる。→→授業の質も高まる。→仕事量がさらに減り、余暇が増える→考える時間が研究する時間がもっと増える→教員の疲れがさらに軽減して元気になる。→仕事の効率がよくなる工夫がさらに生まれる→…

 
ループを考えるとこんな感じかって、そんなことを考えている場合ではない。

でもせめて個人レベルでやれることはやらなきゃ。
必要ないことをそぎ落として楽にやれるように、少しでも時間ができるようにしよう。


それに学級でもいかに+のループを創るかで勝負が決まってしまう。いろいろ課題があるけれど負けないぞー。頭を使うのだ。ちゃんと振り返って日々、修正するのだ。