notice and noteとひぐちいちようやらなきゃ。


『希望の虹』「作家樋口一葉ーみんな『いいところ』があるー」
自分の仕事向けに修正・編集 主に特定の宗教と両親に関するところで削除・書き換えをしています。公立の学校の子たち向けに、あと今は母子家庭も父子家庭の子もかなりいますので。内田樹氏は好きじゃないですが、内田樹氏が言われるとおり、僕の役割は先生の先生、つまり僕の先生に教えてもらった大事なことを子どもたちに伝え身につけてもらうことです。このシリーズの先生の語り口が好きです。先生の深い慈愛を感じることができます。
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 いよいよ2学期が始まったね。
 夏休みは、なごりおしいものだけど、秋もまた、楽しい、充実した季節です。スポーツにも、読書にも、勉強にも、一番いい季節です。
 だから何か一つ、今学期は、これをがんばってみようというものを決めて、スタートしたら、どうだろうか。その挑戦が、大きな成長のチャンスになることでしょう。
 自分がいいなと思えるものでいいんだよ。好きなことや、とくいなことは一人一人ちがうからね。
 みんな、自分だけの、自分にしかない「いいところ」が必ずある。それも、いっぱいあるんだ。
 江戸時代から明治時代に大きく変わった世の中で、「自分の『いいところ』は、いろいろなお話を作って、文章を書くこと」と気づいた、一人の女性がいました。
 樋口一葉という人です。五千円札に印刷されているから、みなさんも顔を見たことがあるかもしれません。
 一葉は「小説」と、いくつも書き、日本文学の名作を残しました。その作品は、もともとは、むかしの言葉づかいで書かれていますが、小学生向けに読みやすくした本もあります。


 樋口一葉は、今から140年ほど前の1872年(明治5年)、東京で生まれました。一葉とはペンネームで、本名は奈津。「なっちゃん」です。
 家庭のつごうで、住む家を何度も変えねばなりませんでした。
 4歳から9歳の少女時代、また本格的に小説に取り組んだ、18歳から亡くなる24歳までのほとんどの時期を、現在の東京・文京区でくらしました。
 なっちゃん、すなわち一葉は、勉強が大好きでした。小学校を卒業したら進学して、もっと勉強したいと願っていました。でも、そのころは「女性に学問はいらない」と考える人が多い時代でした。裁ほうや料理が上手になって、早く結婚して家庭をつくることがよいといわれていたのです。
 一葉のお母さんも、そういう考えを持っていたので、一葉は進学させてもらえませんでした。深く悲しんでいる一葉を見て、お父さんは、学校のかわりに「和歌」を勉強する塾に通わせてくれました。
 「和歌」というのは、おもに、ひらがなで数えて、「5文字・7文字・5文字・7文字・7文字」というルールに合わせ、自然や気もちなどを表現する、日本に伝統的な詩です。言葉がリズムにのって、心から心に、すっと届きます。
 

 14歳で和歌の塾に通い始めた一葉はすぐ気がつきました。生徒がみんな、きれいな着物を着た、お金持ちや有名な家のおじょうさんだったのです。人力車に乗ってくる人もいました。
 一葉も、せいいっぱい、身なりをととのえましたが、まわりの人たちのような、はなやかな着物は、家にはありませんでした。
 一葉は落ち込んでしまいました。しかし、自分を塾に通わせてくれているお父さんや、苦労して育ててくれているお母さん、また、妹のことを思いました。
 着ているものでは、人間のねうちは決まらない!ーー一葉は、気持ちのきりかえて、一生けんめいに勉強を続けました。
 みんなが、一年のうちで一番きれいに着かざってくる新年の歌の会にも、一葉はお母さんが用意してくれた、古着をぬい直した着物で出席しました。そして、60人以上の出席者の中で、すばらしい和歌を作り、みごとに第1位の成績をとったのです。
 このことで、一葉は自信を持つことができました。しっそな身なりをしていても、少しもはずかしくありませんでした。自分には、すばらしい和歌を作ることができるという「いいところ」がある。そう思った一葉は、自分の長所をもっともっと伸ばして、物語を書く仕事をしたいと考えていたのです。
 じつは、彼女の時代には、そういう仕事をしている女性は、まだ一人もいませんでした。一葉は、日本の女性で初めての「職業作家(小説を書くことを仕事にして生活する人)」なのです。


 新しい時代の先頭に立つ人は、きまって苦労の連続です。一葉にもその後、お兄さんとお父さんがつづけて亡くなるなど、たくさんの苦難がありました。書くだけでは家をささえられず、ほかにも仕事をしなければなりませんでした。
 それでも彼女は「負けじ魂」を燃やしました。たくさんの本を読みたかったので図書館に通い、学びに学んで、すばらしい物語を書きつづけました。
 有名は『たけくらべ』という作品は、下町で、みんなよりも少し年上の男の子や女の子が成長していく姿をえがいたものです。一葉は、大変な生活のなかで見たり聞いたりしたことを、物語に生かしていきました。苦しいことや悲しいことも、ぜんぶ宝物に変えていったのです。
 彼女は残念ながら、24歳の若さで、病気で亡くなりました。でおも、そのみじかい人生のなかで、のちの時代まで人々に愛される、自分にしか書けない作品を生み出したのです。


 樋口一葉は、こんな言葉を残しています。
 「この世に生をうけた人間は、貧富貴賎(貧しかったり豊かだったり、身分や位が高かったり低かったり)の違いはあっても、すべて同じ人間であることには変わりはない」
 その通りです。
 桜、梅、桃、李、どれも花の形はちがうけれど、それぞれが、それぞれにしかない美しさを持っている。
 みんな、それぞれに「いいところ」があります。だから、自分と人をくらべて、うらやましく思う必要などありません。
 「ありのまま」に悩み、願い、また胸をはって挑戦していくーーそうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。
 みなさんの「いいところ」は、たくさんある。友だちにも「いいところ」がたくさんある。だから、仲よく、はげましあって、その「いいところ」を大いに伸ばしていってほしいんだ。
 「いいところ」とは、何かができることだけではありませんん。
 失敗をおそれない「勇気」があればすごいことです。
 お家の人、まわりの人のことを「思いやる心」を持っていれば、それもまたすばらしいことです。
 樋口一葉は”心にはダイヤモンドがある”とも言っています。
 みんなも、自分の心のダイヤモンドを見つけよう!
 そして、そのダイヤモンドを大事にして、キラキラと、かがやかせていこうよ!
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