「いったい、教育というものは、多くの観点から眺められるのが本当である。また、げんに多くの観点から眺められてきたのである。国家や社会体制の観点から、教会や宗教の観点から、教師や教育当事者の観点から、両親や家庭の観点から、さらには児童・生徒・学生の観点(これが「教育の主人公は誰か」という見究めよりすると、いちばん重要な観点であるはずだが、しばしば不当にも忘却され無視されている)から眺められる。これらの観点の一つひとつは部分的であり、一つひとつが教育の理想に何ほどかを寄与しているのも確かだけれど、しかし反対に、教育の理想を曇らせるに足る幾つかの要素をも付与せずにはいないのである。序いでにもうひとつの別の観点も存在し得ることに注意喚起しておきたいが、それは、社会の圏外に押し遣られた知的放浪者=無用者の系譜からの教育に向けられた眼差も時と場合によっては必要になることも忘れるなという考えもさす。」斎藤正二

『理解をもたらすカリキュラム設計』の本とも繋がる。パースペクティブという話。理解することの一側面とは、いろいろな観点・視点から眺めること。


この本で述べられている考えは、
いろいろな実践やスキルを繋げる接着剤のような役割をすると思う。
でもこの本の立ち位置としては、もう一つさらに自由な教育とは相容れないかもしれないです。うまく接続できるのだろうか。ただ今の公立の小学校の教育とはとても親和性があるので、このアイデアはとても有用だと思います。活かせる。