新しいカタカナ語

リーディング・ワークショップとかライティング・ワークショップとか、アクションラーニングだとかビジネスの世界にも教育の世界にも海外から来たカタカナ語があふれているけれど、その中身は前からあったことばかりだと分かることがある。あまりカタカナ語に振り回されないで、その意味をよく理解したいです。ライティング・ワークショップと似たようなことは前にもあったのだろうけれど、今のライティング・ワークショップは前の実践よりも確実に洗練されていると思う。例えばアトウェルが最初に教えるジャンルは詩とmemoir(日記、回顧録など)で、この後にレビューなどの違うジャンルを教える。おそらく簡単に書けるものからより難しいものへと順序を工夫しているのだ(簡単なことから難しいことへというのは少なくともヘルバルトの時代からある教授法の重要な考え方。たぶんもっと昔からある。)。こういった工夫がいろいろと蓄積されています。これはとても大事だと思う。


で思ったのは、デューイなどの教育哲学や認知科学などの理論レベルの研究はかなり大切で、その上で新しい実践のよさを学んでいきたいということです。カタカナがやたらと増えただけど、中身はほんとど違わないし変わってないということもあると思う。振り回されないようにしたいです。ビジネスや経営学の言葉で、うわ難しい言葉で高尚そうだ、すげーって思って学んでみると、たいしたことではなかったとか、そんなことがあったことを思い出しました。少し騙された感じも正直あります(特にビジネスの世界に多いような気がする)。そういった言葉って、もう知らなかったら遅れてる終わっているみたいな気分にさせられたことがあったことを思い出す。しかしそうでもなく、本当に新しい重要な概念だったり、考え方だったりすることもあるので一概には言えないか。



こういうことが多かったわけではないか。新しいラベルで有り難そうに、知らなければ話にならないみたいな感じに発信していて、知ってみれば別に新しくもないし、たいしたことなかった時のがっかり感が大きかっただけか。そんなことをふと思い出した今朝です。


商売だからというのもあるのだけど、期待や不安を煽るから。
期待を裏切られた時の失望感が大きかったんだ、きっと。
商売っていうのはそういうもんだ。
そりゃあ期待させる。あとは買い手のリテラシーの問題か。