太陽と北風

「太陽と北風」という昔話があるけれど、
昨日はちょっと北風を出しすぎてしまったところがあった。
昨日は強くいいすぎてごめんねと謝ろうと思う。


もっと違った関わり方ができたと思う。成長したいです。


強くいうことが悪いとは限らない。
教師の前に人で、友人同士でも強く言わないといけないときもあるかもしれない。
ただ北風はいらない。太陽の関わり方が基本。


koichi yamanohaさんと昔話した時に、自分の仕事に対して、「友だちになればいいんだよ(子どもたちと)」と言ってもらったことを思い出す。


子どもたちのとの関係は教師と児童、生徒であったり、先生と後生、人と人であったり、友人であったり、いろいろな側面があるのが現実だと思う。一つの関係だけではないのだ。


教師と子どもは評価する側と評価される側という制度的な上下関係が教師の意思とは関係なくある。それと同時に教師の前に人と人の平等な水平関係もある。


「友だちになればいいんだよ」という言葉に対して、偶然なのか、同じ時期に(またその後にも)教師と子どもはそういう関係、僕はまだ呼ばせたことないけれど、呼ばれたい名前(あだ名ではなくて)で呼び合う関係などを否定する考えを読みました。でも僕は心の中に子どもたちを友人として大切に思う気持ちをもつことはとても大切だと思うようになってきたかもしれない。もともと池田先生の教育論を読んでもそういう考えはあったけれど、よりそう思うようになってきたかもしれない。


教師と子どもの関係は職業上の関係で、その関係と平行して、少し早く生まれた友人として、子どもたちを大切にする心を忘れないようにしたいと思う。制度よりも前にある水平の関係。