インプット 理論とネタ

僕みたいな教員経験10年未満のしょぼい経験の人は、徹底的に人から学ぶこと(結局、場数が一番仕事に影響力がある)。アトウェルなどのRW/WWの歴史とバーンズやスーザンたちを読み抜いて実践に反映させていくことが、これから数年の課題。子どもと変わらない。まずはインプット。
このことをたまに繰り返し思う。
インプットし抜くと、自然にアウトプットしたいことがあふれてくるようになるのが道理なのではないかと思う。中身がないのにただアウトプットしてもあまり意味がないし、させてもあまり意味がない。表現ばかりさせて吸収させることがないって、尊敬している人がつぶやいていたことを思い出す。


あと理論と哲学って大事だけど、日本でも外国でも理論や哲学、あり方などを語る人がたまにミニネタやネタを馬鹿にしているのを見たり読んだりすることがある(でも真意は理論も哲学もない、場当たり的な同業者を批判しているのだろうけれど)。しかし僕はそんなことは思わなくて、自分の理論のモデルとか哲学が修正されたりブラッシュアップされたりすると、自分の中にあるネタが理論や哲学やビジョンの中に新しく位置づけられて蘇ったり、新しい価値づけがされたりすることを実感します。そんなことを最近、朝通勤の時とかにふと繰り返し思いました。



だから結局、理論や哲学、理念、あり方などが大事だとなるのか。それがないとネタも活きない。イエナプランの原則とか大事だなあ。自分の中にゆるぎないものはあるか。その核となるものがあればあとは理念も実践も磨くだけだ。



これも結局どちからという対立的なものでもない。理念を実現するにはネタ(具体的なアイデア)が必要です。どちちらも欠けることに問題がある。