結局、一斉授業に内在する問題(一斉授業が悪いというよりも、一斉授業ばかりの多様性のなさから生まれる構造的な課題と、その課題に対する解決策の欠如に問題があると思う。別に一斉授業が悪いわけではない。目的と状況から、どの方法にもメリットとデメリットが存在する。方法は目的と状況から使い分ける必要がある。)に対して、現場の教師の奮闘にまかせてきたのが、この国の歴史だと思う。どんなに名人教師でも学び残しをゼロにするのは難しい。学級がはじまった時点で、学び残しがゼロのクラスはほぼないと思う(僕は経験したことがない)。それまでの学び残しもフォローしつつ、その学年の学び残しをゼロにしていくというのは神業と言っても言い過ぎではないと思う。


一斉授業に内在するおちこぼれ問題(学び残し問題)に対して、
具体的な問題解決の仕組みを作らず、現場まかせなのがこの国。
その問題に対して、
イエナプランなどの多様なオルタナティブ教育が出てきたオランダと対照的です。


と思ったけれど、愚痴ってもしょうがないか。
お家の方たちの協力も頼みにして、どうにかできることをやっていくしかない。


今の学習指導要領みたいに学年ごとに目標があって、
一斉のクラスの問題(課題)というのが主流な限り、それらに構造的に内在する学び残しの問題がほぼ確実に起きる(その方法を貫くなら、その方法に内在する問題に対して何か手をうたないといけない)。その問題に対して評価(テスト)・補習体制を組むなり(部活動など時間外のいろいろな活動よりも必要なのは補習体制ではないか)、方法の多様性をもっと認めるなり、学習内容の目標を小学校全体(小学校を卒業するまでの目標にする)の目標にして、弾力的に学び直しながら学習に取り組めるようにするなど、何か施策が必要になると思う(もう少し学習指導要領は弾力的になったほうがいいと思う)。



学校の先生のほとんどの人が自分の授業を振り返って、次はこうしようと授業改善に努めていると思うけれど、上から同じ方法(授業)を奨励して、その方法に内在する問題を、授業改善だけで解決しろというのが酷だと思うし無理難題だと思う。どう考えても、評価の仕組みと補習体制、または弾力的に学び直せる仕組みなどが必要になってくると思う。効果が薄そうなことに労力とエネルギーをやたらと注がせるよりも、根本的な改善につながることを大きな仕組みレベルで改善してほしい。苫野さんが提言されるような方向性の改善も必要なんだと思う。教育の目的と目標から学校教育で行なわれていることを振り返って、必要ないものはやめたほうがいい。やめることも大切。学級の人数もいきなり20人とは言わないから35人学級、せめて30人学級くらいまでは実現してほしい。できれば25人、20人学級を実現してほしい。約ですが40人学級と25人学級は全然違うというのが実感です。