アクティブラーニング


アクティブラーニング
「学生が学習を自ら責任主体となって行うことを重視した授業形態の総称(+そこで行われる学習)」


前にインタラクティブ ティーチングで学んだことと同じでアクティブラーニングとは、とても広い概念。


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ペスタロッチー全集8巻平凡社
【解題】5項から主な教授の法則
1、教授の基礎は直観である。
2、学習の時期は判断や批判の時期ではない。
3、教授は最も単純な要素から出発し、そこから児童の発達に応じて心理学的の順序で行われなくてはならない。
4、教材は児童の自由の精神的所有になるまで、それぞれの点に留まっていなくてはならない。
5、教授は児童の自己活動によるべきだ。
6、教育上児童の個性は神聖なものとして尊重しなくてならない。
7、基礎教育の主要目的は、知識や技法ではなくて、精神力の発達だ。
8、知識には能力が、認識には技能が結びつかなくてはならない。
9、教師と生徒との接触、時にまた学校の訓育は愛によって行なわれ、愛によって支配されなくてはならない。
10、教授は教育の目的に従属しなくてはならない。
教授は心術の醇化ないし善への意志の強化を目的とし、内的の富を生産し、全人間を改善し向上させて、その生活と活動とに高い霊感を与えなくてはならない。
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「5、教授は児童の自己活動によるべきだ。」
アクティブラーニングは、
ペスタロッチの時代から言われることと重なるのではないかと思う。


小学校では昔からやっていることで、特に新しいことではないと思う。
ただそれを重視していこうということらしい。



「1、教授の基礎は直観である。」
デリダが指摘していた通り、西洋哲学は「見ること」が優位の世界だと一般的に言われている(しかし「見ること」優位だと言われるテキストの中に、「見ること」の中に「見えないこと」や「触れること」の存在がというのが昨日読んだ話。「見ること」の脱構築)。
それは教育学の世界にも影響を及ぼしている。直観とは直接観察すること。


採用試験では、今年はどんな課題が出るのかな。
どんな課題でも、
「見ること」優位の教育学の中にある、「見ること」の中にある「見えないこと」と「触れること」について論じたら間違いないなく合格できなさそう…、「見ること」の中にある「触れること」が聖書の中にも云々って笑。こういうことを考えている場合ではない。


京都大学の先生の動画を見て、やはりウィギンズの『理解をもたらすカリキュラム設計』は基本書だと思った。アクティブラーニングをディープアクティブラーニングにする鍵が書いてあると思う。キーコンセプト。授業設計の最も基本となる本の一つだと思う。再読するべか。再々読になる。




明日小論文と指導案作りの練習がんばろう。社会科の教科書持って帰ること。あの小学校三年生の社会科の昔の生活を学ぶ単元のキーコンセプトは分かりやすい。それを盛り込んだ目標設定に単元目標が設定されているので、その一部をそのまま本時の目標に落とせばいい。それで後はどう授業を具体的にするかが問題。練習がんばろう。


がんばろう。気づいたら、またこの仕事をやっていて、とっても嬉しい夏休み。少し寂しくもなるけれど、嬉しい夏休みまでもうあと一月。


ごちゃごちゃ書類を準備すること考えたら、免許更新の講義を受けたほうがいいかな。
はやく申し込まないと間に合わない。今週末に調べて申し込まないと。
めんどくさくてしんどいよ。ぐふっ。