言葉で戦況を誤魔化した日本政府 ――文学史家・高崎隆治の証言(3)

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「戦時下の1943年夏を語る」
 (※「昭和18年―学徒動員―」の節のみ抜粋)
 高崎隆治
 翌昭和18年に入ると、アメリカやイギリスの音楽は演奏自体が禁止されました。プロだけではありません、アマチュアでもです。アマチュアでも、演奏しているのを聞かれたら、特高に「ちょっと来い」と言われて、ひっぱられます。
 2月の「ガダルカナル島撤退」(ガダルカナルというのは、ニューギニアの南にあるソロモン諸島の一つです)。これは前年8月からやっていた戦いですが、結局は撤退します。日本軍というのはいいかげんで、撤退したのに「退却」と言わなかった。「退却」と言わないで「転進」という。こんな言葉は、本来ありません。軍が作った誤魔化しです。
 そんな言葉は今でも、よく使われますね。「深刻」とか、「想定外」とか。普通、「深刻」というのは、時間的余裕があるときに使われるものです。でも、いま問題の原発事故などは、「危険」とか、「危機」と言うべきです。今も昔も、政府は「言葉」で「状況」を誤魔化すので、注意が必要です。
 さて、ガダルカナル島撤退は「18年2月」ですが、17年10月の時点で、もうダメだと言われていました。17年の秋に、横須賀海兵団の剣道の師範(この人は私の中学の剣道の師でもあります)から、「日本は負けた。ガダルカナルで負けた。お前たち、覚悟するように」というふうに言われました。「間もなく戦場に行くことになるから、死ぬ覚悟をせよ」と。
 18年4月には、連合艦隊司令長官が戦死しています。そして5月には、アッツ島アリューシャン列島の中にあります)の守備隊約3000人が全滅です。9月に、未婚の女子は、国の勤労挺身隊へ動員。10月になると、学徒の徴兵猶予が停止されました。それまで大学生の場合は、24歳まで徴兵が猶予されていました。猶予停止になると、20歳以上であれば、学生であろうと有無を言わさず全員兵隊となります。
 政府は昔からいい加減だから、その時兵隊に取られた数はいまだにわかりませんが、約10万だろうといわれます。一応、理科系の学生は猶予されましたが、文科系は全員でした。僕は18年には大学(予科)一年生で18歳でしたから、この時には引っかかりませんでした。ただ「あと2年だな。2年で死ぬことになるな」と思っていました。
 10月21日が「学徒出陣」です。東京、神奈川、千葉、埼玉の学生約38000人が神宮外苑に集められました。大規模なセレモニーです。僕はこの時、見送る側にいました。けれど、同じ年の12月に何が起きたか。徴兵年齢が19歳に引き下げられたんです。翌19年、僕は学徒兵として引っ張られました。「あと2年」どころではありませんでした。これに引っかかったのは、大正14年生まれと15年生まれです。だから僕は、未青年で兵士にした日本政府に貸しがあると思っています。
 学徒兵というと、将校だと思っているようですけれども、僕はただの兵隊です。志願をしていれば特甲幹といって、いきなり下士官になれるんです。伍長というと、下から5番目、他にはもうひとつ、特操というのがあります。これは航空兵で、これに志願すると、見習士官になれます。逆に志願をしないやつは、日本軍の伝統で人間とは扱われない。つまり、志願すると有利なわけですが、僕はこの志願した連中を憎みはしません。彼らのすべてが、階級が上になって、楽をしようと思ったわけではありませんから。
 この昭和18年19年というのは、負ける公算が99%の時なんです。だから志願した者のある一部――大部分と思いますけれども、少しでも頑張って、停戦あるいは終戦、講和の条件を、いくらかでも有利なものにしようと考えて、志願したのだと思います。そういう人物が、僕の同級生にいました。ですが、僕はそういう志願はしなかった。殺すのは嫌だし、殺されるのも嫌でしたから。その代わり、兵士としてひどい目に遭うことになりました。
(4に続く)

(追記)

最後の「僕はそういう志願はしなかった」という一節について、念のため解説をしておきます。学生は志願すれば下士官や見習士官になれるという楽な道が用意されていたのに、高崎先生はそうした道をあえて採らなかったということです。当時先生は、大東亜戦争が聖戦などではないことを確信していました(このときの経緯については『戦争文学通信』五〇‐五一頁を参照のこと)。つまり、「志願しなかった」というのは、<積極的な戦争参加を拒否した>という意味にほかなりません。


(追記2)

付言すると、学徒出陣に関して、学生を単なる<被害者>としてのみ描く歴史は、国家権力の本当の恐ろしさを見落とすことになるということです。一兵士よりも上に立ちたいという人間の名誉欲、少しでも楽をしたいというエゴイズム、そこにつけこむことで国家は少しでも多くの学生に「志願」させようとしたのでした。

I先生のシェアー。