理性の使用について

けっきょく、
自分の地域だけとか日本だけとか、全体について考えている人はあまりいないかもしれない。
その集団のために理性を使うのを、例えばただ国のために理性を使うのを、カントは理性の私的使用であると述べた(それは当然のことだと言えるけれど、それだけでは問題がある)。理性を公的に使える世界市民は少ないのかもしれない。短期的に潤うかもしれないけれど、未来の先まで考えると違った結論が出てくるかもしれない。長期的視野と短期的視野と統合しながら判断すること。


個人として理性の使用を理性の私的使用、国のために理性を使うことを普通に考えると、理性の公的使用と言えると思うかもしれないですが、カントはそのことを逆転させました。


われわれは国民(=国家の一員)であり、また、政治家や公務員であったりもする。しかし、それはいわば「理性の私的使用」であって、われわれは同時に、それを離れてパブリックに考えなければというのです。

『倫理21』

通常、公的とされるのは国家レベルのことだけど、それを私的なものといい、そこから離れて個人として考えることを公的だといった。ここでカントは価値の転倒をおこなった。公的に理性を使用する個人を世界市民コスモポリタン)とカントは呼んだ。


ある国家に所属する国民ですが、、同時に全公共体の一員、世界公民的社会の一員と自分のことをみなすことができる。たぶん本を読む限り、この公共体の他者の中には、死者や未来に生まれてくる人たちも含まれる。
「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」


理想主義か現実主義かってことではないです。
理想や言葉は目指すべきゴールを指し示す働きがあります。
いきなりそこにたどり着くことはできないことがほとんどだと思います。。でもそこに、その理想に相応しい方法で少しずつ向かうことができます。
理想のない現実主義ほど醜いものはないって
誰か偉い人が言っていましたが、その通りだと思います。


エネルギー政策にしても、教育政策にしても、その他のことでも、もう少し長期的な未来の他者もふくめて地球市民的に考えないと、まともに国の舵取りをすることは難しいのではかと思います。もっと先のことを考えて国のことを決めないと、もったいないと思う。戦後の日本の政治って、ほぼ一貫して、短期的なことに傾き過ぎだと思う。その時はもうかっていいかもしれないけれど、後が辛くなる。



理想を失わない現実主義者でなければならない。理想のない現実主義者は最低だし、たくさんいる

宮崎駿さんの言葉らしい。


お金の問題はいろいろあるかもしれないけれど、ただ現実に流されて行くだけなら、誰でもできる。五十歩百歩の話みたいに、一歩でもまず理想に向かうのためにできることをせめて考えるべきだと思う。その心を感じさせてくれるような仕事を政治家にはしてほしい。これはいい工夫だなと思えるような仕事をしてほしい。せめてよりよいところ、より理想に近いところから、自分から後退していくのはやめてほしい。価値あるものを壊して、無駄なことを増やすのをやめてほしい。嘘をつくのをやめてほしい。詭弁を使って国民を騙すのをやめてほしい。


『倫理21』は
この理性の公的使用、コスモポリタンの話が第五章で、
次が宗教は倫理的である限りにおいて肯定されるという第六章。


歴史的に理性を公的に使用していくと、迫害されるなど、損なことがたくさんあります。多くは不幸に陥る。そこで宗教は要請され、カントは宗教が倫理的である時のみ認めるとのこと。この話を少し読み返してみて、誰が今、損をしてでも、正しいことを主張し、行動しているかということを考えました。



スピノザやカントを引用しながら、「自由」の概念についても根本的に思索していて、やはり『倫理21』はいい本だと思いました。その自由論は、湯浅誠さんの本にも通じている。他にも尊敬する先生がおすすめしていた柄谷行人の『言葉と悲劇」も再読しようと思います。これも大学時代に読んだのですが、もう一度読みたくなりました。


「三酔人経綸問答 」中江兆民
この本も思い出した。
いきなりに理想には到達できない。
結局、今の社会は自分たちの反映に過ぎない。
よりよい社会には、一人ひとりの自律的な判断が求められるので、
自分たちがより賢明になって行かない限り、何も変わらない。


「肝要なことは、われわれ全部が、ひとりひとり各人が、より賢明になることである」(原佑・飯島宗亭「アドラーの書」、『キルゲゴールの講和・遺稿集9』所収)
一人一人が強く賢くなり、団結すれば、上に立つ人間も、威張ったり、不正をしたりできなくなる。平等の関係ができる。


ここに帰ってくる。
自分のできることを考えて、一歩ずつ進もう。


お金は大事だけど、もっと大切なこともあるのに、
蔵の財第一なり、そういう宗教、価値観の人がたくさんいる国。



哲学って大事だ。
考え方、思想、理念、理想などに自覚的になるって大事だ。
それらがないと、たんなる現実主義者になってしまう。