安保法成立、日本の行方は? 長谷部氏・杉田氏が対談

安保法成立、日本の行方は? 長谷部氏・杉田氏が対談:朝日新聞デジタル

長谷部恭男・早稲田大教授 少なくとも、集団的自衛権の行使は憲法上許されないという、9条解釈のコンセンサス(合意)は壊れていません。法律問題が生じた時、ほとんどは条文を読めば白黒の判断がつきますが、9条のように条文だけで結論を決められない問題が時々出てくる。その時、答えを決めるのは、長年議論を積み重ねた末に到達した「法律家共同体」のコンセンサスです。政治がどうあれ、ここは全く揺らいでいない。今後も、昨年の閣議決定は間違いだ、元に戻せと、あらゆる機会と手段を使って言い続けていくことになります。
 杉田 しかし推進側は、最高裁判決が出るまでは、法律家でなく政治家が答えを決めると主張しています。裁判になっても、最高裁憲法判断を避けるだろうとタカをくくっているようです。

 長谷部 希望的観測ですね。法律家共同体のコンセンサスを甘く見過ぎていると思います。そもそも憲法は政治権力を縛るためにあるのだから、その意味内容を政治家が決めてよいはずがない。安倍政権の下、シビリアンコントロール文民統制)どころかシビリアンの方が暴走しています。

 杉田 与党は今回、議会運営上の慣例を色々と壊し、野党の最後の抵抗手段としての質問時間さえ数の力で奪った。最終局面の大きな論点は、法制への賛否以前に、「こんなやり方が許されるのか」だったと思います。憲法は無視、専門家の意見も無視、議会の慣例も破壊する。これは、権力の暴走に歯止めをかけるという立憲主義の精神に反する「非立憲」です。「立憲」か「非立憲」か。これまで十分に可視化されていなかった日本社会の対立軸が、今回はからずも見えてきました。

有名な憲法学者の方ですが、
閣議決定は間違いだという認識。



「そもそも憲法は政治権力を縛るためにあるのだから、その意味内容を政治家が決めてよいはずがない。」これについては本当にそうだと思う。道理。



1972年政府解釈との整合性をつけるために、
与党(与党というか公明党なんだろうけれど)
はよくあんな読み方を考え出したなと関心してしまったけれど、長谷部さんの言う通りだと思う。


最高裁の判決はどうなるのだろうか。行く末を見守りたい。



法案の内容としても僕は根本的に反対。
徹底的に専守防衛でいいと思う。
武力の使用を広げる必要性を政府の言う具体例からまったく感じない。
僕はこれまでのところから、武力行使の機会を拡大すること自体に反対。


自衛隊の人たちの命を失うリスクを増やすことにも反対。



防衛のために平和にのためにと武力行使の機会を増やすのは欺瞞だと思う。
武力行使の機会を増大させることは、抑止力にはならないだろう。



それ以前に憲法違反の疑いがある。
多くの憲法学者違憲であると判断していることの意味は大きいと思う。



根本的に政治家が憲法の意味内容を決めることにも反対。とてつもなく抵抗感がある。
長谷部さんが言う通り、そんなことを許したら憲法の意味がなくなる。



最高裁がどう判断するのか分からないけれど、
その判決を注視したい。良識ある判断を期待したい。