文明の文法

フェルナン・ブローデルの『文明の文法Ⅰ』を読んでいます。アーノルド・トインビーとか、ミシェル・フーコーとか様々な著名人たちが出てきます。
昔読んだハンチントン文明の衝突』という本を思い出す。その本は問題があるとかなり非難されていた。ブローデルの文明論はどんなものなのか。文明の要素として、「空間(地理学)」「社会(社会学)」「経済(経済学)」「集合心性(心理学)」が出てきた。これからイスラム教とイスラム世界について読み進めます。たぶんその4つの視点からその文明について観察するのだと思う。
「言葉とは、われわれのだれもが自分の望む用い方で自由に使える道具である。ただし、その自分の意図について説明できることが条件である」レヴィ=ストロース
「さまざまな限界について歴史を書くことができるだろう。成就されるや必然的に忘れ去られる、あの曖昧でひそかなしぐさについての歴史、一文明が自己にとって(外的なるもの)を棄て去る、あのしぐさの歴史をである。深くうがたれたあの空白、文明がそれによって自己を切り離すあの白い空白は、文明を、そのさまざまな価値ともども、その歴史の流れのなかで提示しているのである。というのも、そうしたさまざまな価値を文明は受容し、歴史の連続性のなかで維持しているからである。しかし、いま問題にしようとしている領域においては、文明は本質的にさまざまな選択をおこない、分割をほどこしている。この分割が文明にその積極性の相貌を与えるのであり、そうした原初的な厚みのなかにこそ、文明が形成されるのである」ミシェル・フーコー
時に受容し、時に反発する中で現れてくる文明。


http://ittokutomano.blogspot.jp/2015/09/braudel.html
苫野さんが書かれていることも参考にしながら読み進める。
次はイスラム世界について