表現

相手や目的によると思う文章表現。


思い出したら考えておきたくなった。



その表現は、
ある地域で社会科の教科書を執筆している先生の文章を真似たものだった。
テーマは同じで、言葉も真似た。
ただ伝えたい内容は自分のその時の仕事に合わせているから違うので、使っている言葉は同じでも表現は若干違いました。
僕はその人の選んだ言葉がいいと思ったらからまねして使っていました。



その言葉、表現を否定されました。
僕にはただ素直に読めばいい思う内容ですし、
不明な点が何もありませんでしたが、
分かりづらいということでした。


正直、自分がまったく分かりづらくないので、
その方の違和感の内容に違和感を抱いてしまいました。


しかし、自分が分かりづらくなくても
他人に分かりづらいということは、普通にあり得ることだと思ったので、しょうがないと思いました。



もう一つ考えたいこと。
その表現は去年はよしとされたものでした。
それが今年は否定されました。
このブレは何だろうと正直思いましたが、
人は変わるし、その時々に違うので、
去年は何とも思わなくても、また何か思っていたとしても、
今年は明確に否定することもあり得ると思いました。



僕はできるだけその集団でその前によかったとされた表現を大事にして書いています
(僕はよく職場が変わったので、例えば最初は手探り、それ以降はそこで言われたことを大切に書く、そんなことを繰りかえしてきました)。
去年、違和感として、よくないとして伝えられたことの修正も意識して書いています。


それでも、そのよかった表現が否定されることもあります。


人は変わりますし、その時に気づかなくても、後で気づくもあるから、あり得ることか。





結論としては、
プライベートではない、
ある集団で求められる文章表現は諦めるしかないと思いました。
徹底的にその集団で求められるいること、
その時に重要とされていることに合わせること。






当然今回何も言われず問題ないとされた表現が
次に同じ人に否定されることもあり得る。