「指導はするな!面倒見れ!」  

愛の断想・日々の断想 (岩波文庫)

愛の断想・日々の断想 (岩波文庫)

「生命の増殖だけに役立つ性的本能に、生命のことなど全く忘れた愛が結びついて来た――これは、生命からの素晴らしい解放である。芸術が自然的なものを超える瞬間、同じことが見られ、宗教的なものが恐怖や期待から離れる瞬間、同じことが見られる」11項

「恐らく、人々は、私と同じように、生命というものを世界観の中心に据えて尊重して来たに違いない。そして、その結果、彼らが知ったのは、生命はこれを守るべきものではなく、捧げるものであるということであった。」64項


「自然科学は可能的必然性を目指し、宗教は必然的可能性を目指している」65項



「指導はするな!面倒見れ!」
Tさんの知人の方の言葉。




繋がった。



五月二十四日
(一)神は愛ではない。愛は人間における神の顕現の一つである。
〈七)人生の目的はそのあらゆる現象に愛の刻印を押すことであり、徐々に悪しき生活を善き生活に変えてゆくことであり――つまり真実の生活の創造であり(なんとなれば愛の生活のみが真実の生活であるから)、真実の生活を、換言すれば、愛による生活を誕生させることである。
(九)幸福であるために必要なことはただ一つ、愛することである。わが身を犠牲にしてすべての人、すべてのものを愛し、四方に愛の網を張り、それにかかったものを全部捕らえることである。
(十)ちゃんとした人間なら誰でも、少なくとも一度は(ことに幼年時代の初期に)経験したはずの、次のような幸福な感情を知らない者はないだろう。すなわち、隣人も、父も、母も、兄弟も、悪人も、犬も、馬も、草も愛したくなるような感情、ひたすらみんなが楽しくしあわせであるようにと、ことにこの自分がみんなをしあわせにしてやりたいと願う感情、いつもみんなが楽しく嬉しく暮らすために、自分自身を、自分の余生を投げだしたいと願う感情である。その感情こそ、そしてその感情のみが、人間の生命の原点なのである。
トルストイ『文読む月日』北御門二郎訳 より


愛の網を貼るという表現、教育の世界でも現実に起きている。みんないろいろ考えて、子どもたちがよく育つように考えて愛の網を張り巡らしている。昨日の学んだ授業提案は食育。子どもたちが少しでも好き嫌いなく食べられるように愛の網を張り巡らすような授業を提案されていた。