スッタニパータ ニーチェ マッハ

結局見つからずかわりに
新訳『スッタニパータ』が出てきた。



またお風呂の中で読んでいたら、頭の中で繋がった。
見つかった時にたまたま開いたページが「論争批判の根本真理の総括」という見出しがある。241ページ


たまたま最近、Tさんが言及されていたブッダの論争批判のところでした。



ここはフーコーニーチェデカルトモンテスキュー、斎藤正二先生が指摘していたところに繋がる話だった。


それで繋がったのがニーチェとマッハのこと。


マッハの「思惟経済」をたしかにニーチェが批判したというのをどこか読んだ記憶が残っていて、なぜなんだろうとずっと疑問に思っていたのですが、



たぶん真理の系譜学の視点、ブッダ的な視点から、マッハの主張を批判したのだと思った。これは予想で間違っているかもしれないけれど。いつか確かめられるテキストに出会えるとうれしい。



「静寂なる涅槃すらも、よいものとして固執することなく。」p243
とまで書いてある。



最近『スッタニパータ』などの仏典を読み直して、
これがブッダの言葉で、これはブッダと対話している人の言葉だ、これは日蓮の言葉で、これは何教典の言葉、これは誰々の言葉だと考えているのですが、小学校2年生がローベルの『お手紙』で、どれが地の文で、どの会話文が、がまくんの言葉なのか、それともかえるくんなのか、かたつむりくんのなのか弁別しているのと、変わらないと思いました。でもこのレベルで大人も読み間違える。ここを読み違えると残念なことになってしまう。