デカルト

「わたしの格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして、一般に、完全にわれわれの力の範囲にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのちに成功しないものはすべて、われわれにとって絶対的に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものを未来にいっさいに望まず、そうして自分を満足させるにはこの格率だけで十分に思えた。」38項、方法序説-岩波文庫-デカルト



たまに政治家についても思い出すと悲しみや怒りの気持ちが出てくるけれど、そんなに激情したところでどうにもならない。


だいぶ違うけれど子どもたちに対する教師と似ているかもしれない。
直接関われるところがだいぶ違うけれど、例えばすごく幼い子がいる。その子の繰り返す失敗に対してあまり感情的になってもどうしようもない。それよりもその子が少しでも育つように、自分を変えること(例えば言葉や授業など)を考えたほうがいい。また例えば書く力など、すぐには伸びるようなものでもないものは、できることをして、待つことも、忍耐も必要になる。


政治家も同じかもしれない。市民が、政治を、政治家を育てて行くしかないのかな。彼らがへーきで嘘をつく時、思考停止の無関心で未熟な自分たちがいるのかもしれない。わたしたちの中にいる自分についてまず考えないといけない。社会の中にある自分について。



最後はフーコーのテーマにたどり着いてしまった。そう考えるようになることも発明か…。いやもう発明された枠組みの中にいる自分。その枠組みを見つけた人の後の自分。