音楽発表会の時は、音楽発表のことを大事にするべ。
今は研究授業のこと、まあ必要なことを子どもたちに伝えて(フィードバック)丁寧にやろう。


パフォーマンスの途中の段階で、本当に基本的なことができていないので、明日修正です(一部のチームですが、他の一部のチームでも同じことが起きている。)。


まったく意識していなかったけど、アクティブラーニングになっている。



年表という学習指導要領の学習内容である垂直の縛りと校内研究のテーマという垂直の縛りがなければ、
僕は歴史の本を個別に作らせていると思う(年表もいいなと今作っていて思う。僕なら年表を個別に作らせたい)。僕は個別的なところへ向かって行くのが好きです。



徹底的に個別にパフォーマンスさせるけど、それがゆるやかに繋がっているイメージ。必要があれば、必要なだけ全体の話し合いもすると思う。


チーム学習も時にいいと思う。それで救われる人もいるから。

『学び合い』で救われる人もいる。


教科書にある年表レベルなら個別に求めてもよかったかもしれない。
あのレベルならチームでやる意義がないように思う。
もう少し詳しいものになっていないとチームでやる意義があまりない。


たぶん個別でやれば、
社会科や勉強が得意な子は
チームでやるよりも、遥かにレベルが高いパフォーマンスを個人で何人もやると思う(そういう側面はある)。それが、社会科や勉強が別に得意でない子たちのレベルも、その子たちは引き上げてくれる側面がその経験の中に出てくるかな。それはその集団の実際による。そのような子が何人もいない場合は話が違ってくる。結局、一つの答えなんて決して僕はないと思う。それがオメガ。



今の学習指導要領で、もう一度同じ単元を作り直すなら、最後の年表を個別に作るようにすると思う(教科書の赤本にもその可能性が書いてある)。チームではきっとやらない。そのほうがリスクが少ないし、評価もし易いかな。でもチーム(グループ)と個別は迷いがまだあるな。土台は個別のほうがリスクがすくなくて、経済的だと思う。それはチーム(グループ)や一斉を否定することではないです。一斉やグループのほうが効率がいい場面もたくさんあるからです。思考経済・学習経済の視点は僕の今のところ根幹。


相手がいないのに方法を考えても無意味か。


目的、ゴールと子どもたちの実体と、その地域の環境と、複雑な関係から考えることなので、ただ一つの答えなんてなおさらあり得ない。


もしもう一度やりなおすなら、
個別に作った年表を読み合って、全体の共有、話し合いへもっていくかな。
それまでに小学校3年生の「昔の道具とくらし」というところだから、体験やインタビューなどの学習活動も経ての話です。


チームか個別かじゃないか。


チームでも責任を明確にすれば、個別に評価することは難しくない。その問題は責任を明確にすることでクリアできるか。



個別が特に社会科が得意な子たちにとっては心地いい部分があるだろうけれど、逆にチームには、チームでやる楽しさ、学びになるところもある。何をねらって何をとるかかな。



チームか個別か、どちらもメリットとデメリットがあって、
今回の年表を作るというパフォーマンス課題から考えると、
結局ゴールと子どもたちの実態などからどちらがいいか変わってくるか。


僕の中では、全部一斉でごり押し、それも目的と内容によってはありだとは思う。